イエスへの祈りは、イエスの死と復活の力を先取りする奇跡を通して、すでに宣教活動中にも聞き入れられています。イエスは信仰に満ちた祈りを、それがことばに出して表明されたもの(重い皮膚病を患っている人
79、ヤイロ
80、フェニキアの女性
81、十字架上の盗賊
82などの祈り)であろうと、ことばに出されないもの(中風の人を運んだ男たち
83、イエスの服に触れた出血症の女性
84、涙を流して香油を注ぐ罪の女
85などの祈り)であろうと、お聞き入れになります。目の見えない人々の、「ダビデの子よ、わたしたちをあわれんでください」(マタイ9∙27)や「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんでください」(マルコ10∙47)などという切なる願いは、
イエスへの祈りの伝承の中で、「イエス・キリスト、神の子、主よ、罪びとのわたしをあわれんでください」ということばとなって踏襲されています。病気をいやしたり罪をゆるしたりしながら、イエスはいつも、信仰をもって哀願する祈りには、「安心して行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」とこたえておられます。
聖アウグスチヌスは、イエスの祈りに関する三つの側面をみごとにまとめています。「主がわたしたちのために祈られるのは、わたしたちの祭司としてであり、わたしたちのうちにあって祈られるのは、わたしたちの頭としてです。また、わたしたちがキリストに向かって祈るのは、主がわたしたちの神だからです。したがって、主がなさる祈りの中にわたしたちの声があり、わたしたちの祈りの中に主の声があることを認めましょう」86。
La oración
a Jesús ya ha sido escuchada por Él durante su ministerio, a través de signos que anticipan el poder de su muerte y de su resurrección: Jesús escucha la oración de fe expresada en palabras (del leproso
57, de Jairo
58, de la cananea
59, del buen ladrón
60), o en silencio (de los portadores del paralítico
61, de la hemorroisa
62 que toca el borde de su manto, de las lágrimas y el perfume de la pecadora
63). La petición apremiante de los ciegos: “¡Ten piedad de nosotros, Hijo de David!”
64 o “¡Hijo de David, Jesús, ten compasión de mí!”
65 ha sido recogida en la tradición de la
Oración a Jesús: “Señor Jesucristo, Hijo de Dios, ten piedad de mí, pecador”. Sanando enfermedades o perdonando pecados, Jesús siempre responde a la plegaria del que le suplica con fe: “Ve en paz, ¡tu fe te ha salvado!”.
San Agustín resume admirablemente las tres dimensiones de la oración de Jesús: Orat pro nobis ut sacerdos noster, orat in nobis ut caput nostrum, oratur a nobis ut Deus noster. Agnoscamus ergo et in illo voces nostras et voces eius in nobis (“Ora por nosotros como sacerdote nuestro; ora en nosotros como cabeza nuestra; a Él se dirige nuestra oración como a Dios nuestro. Reconozcamos, por tanto, en Él nuestras voces; y la voz de Él, en nosotros”)66.