[651]
「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教はむだであるし、あなたがたの信仰もむだです」(一コリント15∙14)。復活は何よりも、キリストご自身が行い、かつ教えられたすべてのことを確証するものです。キリストは、復活をもって、ご自分の神的権威について前から約束しておられた決定的な証明を与えられました。したがってその教えは、たとえ人間の理解力をはるかに超えるものであっても、信じるに値するものであると確証されたことになります。
“Si no resucitó Cristo, vana es nuestra predicación, vana también vuestra fe”52. La Resurrección constituye ante todo la confirmación de todo lo que Cristo hizo y enseñó. Todas las verdades, incluso las más inaccesibles al espíritu humano, encuentran su justificación si Cristo, al resucitar, ha dado la prueba definitiva de su autoridad divina según lo había prometido.
[652]
キリストの復活は、旧約聖書と578、生存中のイエスご自身の579約束の成就です。「聖書に書いてあるとおり」ということばは580、キリストの復活がこれらの預言を実現したことを示します。
La Resurrección de Cristo es cumplimiento de las promesas del Antiguo Testamento53 y del mismo Jesús durante su vida terrenal54. La expresión “según las Escrituras”55 indica que la Resurrección de Cristo cumplió estas predicciones.
[653]
イエスが真に神であることは、復活によって確証されました。イエスはかつて「あなたたちは人の子を上げたときに初めて、『わたしはある』ということが分かるであろう」(ヨハネ8∙28)といわれました。十字架につけられたイエスの復活は、このイエスが真に「わたしはある」というかたであり、神の御子であり、神であることをあかしするものです。聖パウロはユダヤ人たちに、「わたしたちも、先祖に与えられた約束について、あなたがたに福音を告げ知らせています。つまり、神はイエスを復活させて、わたしたち子孫のためにその約束を果たしてくださったのです。それは詩編の第二編にも『あなたはわたしの子、わたしは今日あなたを産んだ』と書いてあるとおりです」(使徒言行録13∙32-33)581と宣言することができました。キリストの復活は、神の御子の受肉の神秘に密接に結ばれています。復活は神の永遠の計画に沿った受肉の完成です。
La verdad de la divinidad de Jesús es confirmada por su Resurrección. Él había dicho: “Cuando hayáis levantado al Hijo del hombre, entonces sabréis que Yo Soy”56. La Resurrección del Crucificado demostró que verdaderamente, él era “Yo Soy”, el Hijo de Dios y Dios mismo. San Pablo pudo decir a los judíos: «La Promesa hecha a los padres Dios la ha cumplido en nosotros (…) al resucitar a Jesús, como está escrito en el salmo primero: “Hijo mío eres tú; yo te he engendrado hoy”»57. La Resurrección de Cristo está estrechamente unida al misterio de la Encarnación del Hijo de Dios: es su plenitud según el designio eterno de Dios.
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復活の神秘には二つの面があります。キリストは死によってわたしたちを罪から解放し、復活によって新しいいのちへの道を開かれました。その新しいいのちとは、まず義とすること、つまり、神の恵みの中にわたしたちを連れ戻すことです582。それは、「キリストが……死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しいいのちに生きる」(ローマ6∙4)ためです。義とされるとは、罪による死に対して勝利を収め、新たに神の恵みに参与させていただくことです583。それはまた、人を神の養子とします。人がキリストの兄弟となるからです。イエスご自身が、復活の後、「行って、わたしの兄弟たちにいいなさい」(マタイ28∙10)584といういい方をして、弟子たちを兄弟とお呼びになりました。わたしたち人間は本来キリストの兄弟ではありませんが、無償の恵みによってキリストの兄弟とされます。なぜなら、神の養子とされることによって、わたしたちは、復活においてご自分を完全に現された御ひとり子のいのちに、実際にあずかることになるからです。
Hay un doble aspecto en el misterio pascual: por su muerte nos libera del pecado, por su Resurrección nos abre el acceso a una nueva vida. Esta es, en primer lugar, la justificación que nos devuelve a la gracia de Dios58 “a fin de que, al igual que Cristo fue resucitado de entre los muertos (…) así también nosotros vivamos una nueva vida”59. Consiste en la victoria sobre la muerte y el pecado y en la nueva participación en la gracia60. Realiza la adopción filial porque los hombres se convierten en hermanos de Cristo, como Jesús mismo llama a sus discípulos después de su Resurrección: “Id, avisad a mis hermanos”61. Hermanos no por naturaleza, sino por don de la gracia, porque esta filiación adoptiva confiere una participación real en la vida del Hijo único, la que ha revelado plenamente en su Resurrección.
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実に、キリストの復活⸺および復活されたキリストご自身⸺は、将来のわたしたちの復活の始まりであり、源です。「キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。……アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです」(一コリント15∙20-22)。このことが実現されるまで、復活されたキリストは信じる人々の心の中に生きておられます。キリスト者は復活されたキリストにおいて「来るべき世の力を体験し」(ヘブライ6∙5)、そのいのちはキリストによって神のいのちの中に引き入れられます585。それは、「もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださったかたのために生きる」(二コリント5∙15)ためなのです。
Por último, la Resurrección de Cristo —y el propio Cristo resucitado— es principio y fuente de nuestra resurrección futura: “Cristo resucitó de entre los muertos como primicias de los que durmieron (…) del mismo modo que en Adán mueren todos, así también todos revivirán en Cristo”62. En la espera de que esto se realice, Cristo resucitado vive en el corazón de sus fieles. En Él los cristianos “saborean (…) los prodigios del mundo futuro”63 y su vida es arrastrada por Cristo al seno de la vida divina64 para que ya no vivan para sí los que viven, “sino para aquel que murió y resucitó por ellos”65.