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「このような〔キリストの救いのわざを分配し、与えるという〕偉大なわざを成就するため、キリストは、つねにご自分の教会とともにおられ、とくに典礼行為に現存しておられます。キリストはミサの犠牲のうちに現存しておられます。それは、『かつて十字架上でご自分をささげられた同じキリストが、今、司祭の奉仕によって奉献者として』司祭のうちに現存するとともに、またとくに、聖体の両形態のもとに現存しておられるのです。諸秘跡のうちにキリストは、ご自身の力をもって現存しておられます。すなわち、だれかが洗礼を授けるとき、キリストご自身が洗礼をお授けになるのです。キリストはご自身のことばのうちに現存しておられます。それは、聖書が、教会の中で読まれるときは、キリスト自身が語られるからです。なおキリストは、教会が懇願し、賛美を歌うときにも、現存しておられます。『二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる』(マタイ18∙20)と約束されたからです」6。