結果 109-119
「キリストの心とは詩編22・15参照。キリストの心を知らせる聖書を指しています。この心は受難の前には閉じられていました。すなわち、聖書の意味は、明らかでなかったのです。しかし、聖書は受難後に開かれました。なぜなら、キリストの受難後、聖書の知識を持っている人々は預言をどのように解釈すべきかを考察し、識別できるからです」聖トマス・アクイナス『詩編講解』(S. Thomas Aquinas, Expositio in Psalmos 21, 11 : Opera omnia, v. 18 [Paris 1876] 350)。。
「字義は出来事を、寓意的意味は何を信じるべきかを、道徳的意味は何を行うべきかを、天上的意味はどこに向かうべきかを教える」ダキアのアウグスティヌス『ロトウルス・プジラーリス』 (Augustinus de Dacia, Rotulus pugillaris, I: ed. A. Walz: Angelicum 6 [1929] 256)。。
「もし、カトリック教会の権威がわたしをそう促すのでなければ、わたしは福音を信じはしないでしょう」聖アウグスティヌス『基本書と呼ばれるマニの書簡への駁論』(S. Augustinus, Contra epistulam Manichaei quam vacant fundamenti, 5, 6: CSEL 25, 197 [PL 42, 176])。。