[1113]
教会のすべての典礼生活は、エウカリスチアのいけにえと諸秘跡とを中心として動いています24。教会には七つの秘跡、すなわち、洗礼、堅信、聖体(エウカリスチア)、ゆるし、病者の塗油、叙階、結婚があります25。この項では教理の観点から教会の七つの秘跡に共通する面を述べます。祭式の面から共通なものは第2章で取り扱い、それぞれに固有なことは第2部で述べることにします。
[1114]
「聖書の教え、使徒伝承……および教父たちの一致した見解に従い」26、わたしたちは「新約の諸秘跡の全部が、わたしたちの主イエス・キリストによって制定された」27と宣言します。
[1115]
ナザレでの生活や宣教活動の間のイエスのことばと行いは、それ自体救いをもたらすもので、イエスの過越の神秘の力を先取りしていました。これらは、すべてが成し遂げられた後、キリストが教会に与えられるものを予告し、準備していたのです。キリストの生涯の諸神秘は、後にご自分の教会の役務者を通して諸秘跡の中でキリストが分け与えられるものの基本となっています。事実、「わたしたちの救い主の言行として書き記されていることは、諸秘跡の働きへと移し変えられたのです」28。
[1116]
諸秘跡は新しい永遠の契約における「神の傑作」であって、それはつねに生き続け生かし続けるキリストのからだから「出る力」29、キリストのからだである教会の中における聖霊の働きなのです。
[1117]
神の神秘の忠実な管理者である教会は、「真理をことごとく悟らせる」(ヨハネ16∙13)ために導かれる聖霊によって、聖書の正典と信仰の教えばかりでなく、キリストから受けたこの宝を徐々に悟り、それがどのように「分配」されるべきかを明らかにしてきました30。このようにして、時代がたつにつれ、教会は典礼祭儀の中にキリストによって制定された厳密な意味での秘跡が七つあるのを認めるようになりました。
[1118]
諸秘跡は、二重の意味で、つまり「教会による」また「教会のための」という意味で、「教会の」秘跡です。「教会による」というのは、教会が、聖霊の派遣を受けてそこで働くキリストのわざの秘跡であるからです。「教会のための」というのは、諸秘跡が「教会をつくる秘跡」であるという意味です31。諸秘跡は、とりわけエウカリスチア(聖体)の秘跡において、愛である三位一体の神の交わりの神秘を人々に示し、分け与えてくれるからです。
[1119]
教会は頭であるキリストと「唯一の神秘的なペルソナ」32を形づくりながら、秘跡の中で「有機的に構成された」「祭司的共同体」33として行動します。洗礼と堅信とによって、祭司的民は典礼を祝うにふさわしいものとなります。他方、ある信者たちは聖なる叙階を受け、「神のことばと恩恵をもって教会を牧するために、キリストの名において立てられるのです」34。
[1120]
叙階された奉仕職、すなわち「奉仕的祭司職」35は、洗礼による祭司職に奉仕するものです。この奉仕職は、諸秘跡を通して、キリストが聖霊によって教会のために働くことを保証します。御父が人となられた御子にゆだねられた救いの使命は、使徒たちに、また使徒を通してその後継者たちにゆだねられています。後継者たちはイエスの霊を受け、イエスの名によって、イエス自身として行動します36。このように、叙階された奉仕者は、典礼行為を使徒たちが語り行ったことに結びつけ、また、使徒たちを通して、秘跡の源であり土台であるキリストが語られ行われたことに結びつける、秘跡的なきずななのです。
[1121]
洗礼、堅信、叙階の三つの秘跡は、恵みのほかに、秘跡的な霊印つまり「しるし」を与えますが、これによって、キリスト者はキリストの祭司職にあずかり、それぞれの身分や役職に従って教会の一部を成すようになります。ひとたび聖霊によってキリストと教会の姿を刻まれたキリスト者は、神の恵みとその保護の約束と保証を受ける資格37、神礼拝と教会奉仕への召命を与えられます。この霊印はいつまでも残り、消えることはありません。したがって、これらの秘跡は生涯に一度しか受けることができません。
[1122]
キリストが使徒たちを派遣されたのは、「罪のゆるしを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に」(ルカ24∙47)のべ伝えられるためです。「すべての民に父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、……教えなさい」(マタイ28∙19)とキリストはいわれました。洗礼の秘跡を授けるために遣わされるということは、福音を宣教するために遣わされるということに含意されています。というのは、秘跡は
神のことばとそのことばに同意する信仰とによって準備されるからです。
「神の民はまず生ける神のことばによって集められます。……ことばの宣教が諸秘跡の授与のために必要です。諸秘跡は信仰の秘跡であって、信仰はことばから生まれ、ことばによって養われるからです」38。
[1123]
「秘跡は人々の聖化のため、キリストのからだの建設のため、さらに、神に礼拝をささげるためのものであって、またしるしであることをもって、教育のためにも寄与します。それは信仰を前提とするのみでなく、ことばとものとをもってこれを養い、強め、表すもので、そのため信仰の秘跡といわれます」39。
[1124]
教会の信仰は一人ひとりの信者の信仰に先だつもので、信者はこれを受け入れるように招かれています。教会が諸秘跡を行うとき、使徒たちから受けた信仰を宣言します。したがって、古い金言には「祈りの法は、信仰の法」(〔5世紀の〕アクイタニアのプロスペルの表現を用いると、「嘆願の法が信仰の法を定める」)というものがあります40。すなわち、祈りの法は信仰の法なのです。教会は祈っていることを信じます。典礼は、聖なる生きた伝承の基本的要素の一つなのです41。
[1125]
ですから、どんな秘跡の儀式であっても、司式司祭または信者共同体の好みで変更したり、手を加えたりすることはできません。教会の最高権威者ですら、勝手に典礼を変えることはできません。ただ信仰の要求に従い、典礼の神秘を敬謙に敬うことだけを心掛けるべきなのです。
[1126]
また、秘跡は教会の中での信仰の一致を表し培うものですから、祈りの法はキリスト者の一致を回復するための対話の基本的な一つの基準です42。
[1127]
信仰をもってふさわしく行われる諸秘跡は、それぞれが表す恵みを与えます43。これらが効力を持つのは、そこでキリストご自身が行動なさっておられるからです。洗礼を授け、諸秘跡の中で行動し、諸秘跡が表す恵みをお与えになるのは、キリストご自身なのです。御父は、御子の教会が各秘跡のエピクレシスの中で聖霊の力への信仰を表明している祈りをつねにお聞き入れになります。火が自分に触れるものをすべて火に変えてしまうように、聖霊はご自分の力にゆだねられるすべてのものを神的いのちに変えてくださるのです。
[1128]
そこに、秘跡は「行為が正しく行われるということ自体で(ex opere operato)」効果を生む、という教会の主張の意味があります44。すなわち、秘跡はただ一度行われたキリストの救いのわざによって効力を生じます。したがって、「諸秘跡はそれを授ける人間、あるいはそれを受ける人間の正しさによってではなく、神の力によって成し遂げられる」45のです。ある秘跡が教会の意向に従って行われるとき、キリストとその霊の力が、司式者の個人的聖性のいかんにかかわらず、秘跡の中で秘跡を通して働きます。とはいえ、諸秘跡の実りは秘跡を受ける者の心のあり方にもよる部分があります。
[1129]
教会は、新しい契約の諸秘跡は信者の救いに必要なものであると言明します46。「秘跡による恵み」とはキリストによって与えられる聖霊の恵みで、それぞれ秘跡に固有のものです。聖霊は秘跡を受ける人々を、神の御子に一致させ、いやし、変化させてくださいます。神の子とする霊が信者たちを救い主である御ひとり子のいのちに一致させ、神の本性にあずからせることが47、秘跡に生かされた生活の実りなのです。
[1130]
教会はキリストの神秘の祭儀を「主が来られるときまで」(一コリント11∙26)、「神がすべてにおいてすべてとなられるため」(一コリント15∙28)に行います。典礼は、すでに使徒時代から、「
マラナ・タ(主よ、来てください)」(一コリント16∙22)という教会の中での霊のうめきが表すように、終末へと向けられていました。こうして、典礼は、神の国で過越が成し遂げられるまで、「あなたがたとともにこの過越の食事をしたいと、わたしはせつに願っていた」(ルカ22∙15-16)というイエスの願望にあずかるのです。キリストの諸秘跡において教会は、「祝福に満ちた希望、すなわち偉大な神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れ」(テトス2∙13)を待ち望みながらも、すでにその世継ぎの保証を受け、すでに永遠のいのちにあずかっています。「〝霊〟と花嫁とがいう。『来てください』。……主イエスよ、来てください」(黙示録22∙17,20)。
トマス・アクィナスは秘跡のしるしの多様な面を、次のように要略しています。「秘跡とは、前に起こったこと、すなわち、キリストの受難を記念するしるし、キリストの受難によってわたしたちのうちに行われること、すなわち、恵みを表すしるし、また、将来の栄光を予測する、つまり、前もって告げるしるしです」48。
[1131]
諸秘跡はキリストによって制定され、教会にゆだねられた恵みを実際にもたらすしるしであり、これによって、神的いのちがわたしたちに授けられます。諸秘跡の見える儀式は、各秘跡に固有な恵みを示し、実際に与えます。そして、ふさわしい心の準備をして受ける人々の中で実を結びます。
[1132]
教会は、洗礼による祭司職と叙階された奉仕的祭司職とによって構成された祭司共同体として、秘跡を行います。
[1133]
聖霊は、神のことばと、神のことばをふさわしい心で受け入れる信仰とによって、秘跡に備えさせてくださいます。そしてその準備ができたとき、信仰は秘跡によって強められ、高められます。
[1134]
秘跡に生かされた生活の実りは、個人にも教会全体にも及びます。その実りとは、各信者にとってはキリスト・イエスにおいて神のために生きることであり、教会にとっては愛とあかしの使命において成長することです。