結果 1159-1162
「かつては、からだも顔もない神を画像によって表すことはまったくありえませんでした。しかし、神が受肉されて、人間とともに生きられた今、わたしは神についてわたしが見たものの画像を作ることができます。……そのお顔の中に、わたしたちは主の栄光を眺めることができます」ダマスコの聖ヨハネ『聖画像についての説教』(S. Johannes Damascenus, De sacri imaginibus oratio 1, 16 : PTS 17, 3. 92 [PG 94, 1245. 1248])。。
「わたしたちの信仰を簡潔にあらわすものとして、わたしたちは、記録されたり記録されていない形でわたしたちに伝えられてきたすべての教会の伝統遺産を、そのままの形で保存し続けています。その伝統の一つが聖画像であって、これはみことばである神が外見だけでなく実際に人となられたとの信仰に基づいて、福音書に見られる出来事をのべ伝える際にも役立ちます。また聖画像の使用が有益で役立つのは、ことばと画像とが相互に説明し合って一つの内容を指し示すからです」第2ニケア公会議(787年)『決定』 (Terminus : COD 135)。。
「神の霊感に導かれた教父たちの教えと、カトリック教会の伝承に従って(わたしたちは、この伝承が教会に内在する聖霊によるものであることを知っています)、細心の注意と綿密さをもって次のことを決定します。すなわち、生命を与える尊敬すべき十字架の像とまったく同じように、尊敬すべき聖画像を飾らなければなりません。彩色画やモザイクおよび、その他の適当な材料によって作られた聖画像を、神の聖なる教会内、聖なる器物や衣服、壁または額、家の中や道路脇にも飾らなければなりません。すなわち、わたしたちの主であり神である救い主イエス・キリスト、聖にして汚れなき神の母、聖なる天使たち、すべての聖人たちの画像を飾るのです」第2ニケア公会議『聖画像に関する決定』 (Definitio de sacris imaginibus : DS600)。。