[1168]
聖なる過越祭の三日間を出発点として、復活節の新しい時が光源のように典礼暦年全体を照らします。この光源から発する光のおかげで、一年の全体は典礼によって新しい様相を帯びてきます。それは真に、主の恵みの年となりますルカ4・19参照。。救いの営みは時の枠の中で行われていますが、イエスの過越と聖霊の降臨とによってそれが成就されてからは、歴史の終わりが「前もって味わう形で」先取りされ、神の国はわたしたちの時の中に入り込んでいます。
[1169]
したがって、復活祭は他の多くの祝日の一つではなくて、「祝日の中の祝日」、「盛儀の中の盛儀」です。エウカリスチアが秘跡中の秘跡(偉大な秘跡)であるのと同様です。聖アタナシオは復活祭を「大主日」アレクサンドリアの聖アタナシオス『復活祭書簡329年)』 (S. Athanasius Alexandrinus, Epistula festivahs 1, 10 : PG 26, 1366)。と呼び、東方教会では聖週間が「大週間」と呼ばれています。キリストが死を滅ぼした復活の神秘は、わたしたちの古い時の中に力強く入り込み、万物をキリストに服従させるでしょう。
[1170]
ニケア公会議(325 年)では、全教会が、キリスト教の過越祭が春分後の満月(ニサンの月の14日)の後の日曜日に祝われることで合意しました。ニサンの月の14日の計算方法の違いのために、西方教会と東方教会とでは復活祭の日は必ずしも同じになるわけではありません。そのため、両教会は現在、主の復活の祝日を再び同日に祝うための合意を目指して努力しています。
[1171]
典礼暦年は、キリストの復活という唯一の神秘を異なる思考法で展開させます。そのことは、わたしたちの救いの始まりを記念し、わたしたちに復活の神秘の初穂を与えるキリストの受肉の神秘を中心に祝われる祝日(主のお告げ、降誕、公現)の周期に関して、とくに当てはまります。