[1267]
洗礼は、わたしたちをキリストのからだの肢体とします。「だから、……わたしたちは互いにからだの一部なのです」(エフェソ4∙25)。洗礼は、わたしたちを教会に結び合わせます。洗礼の泉から新約における神の唯一の民が生まれます。この民は国や文化や人種や性別などのあらゆる自然的、あるいは人間的な限界を超えるものです。「つまり、一つの霊によって、わたしたちは、……皆一つのからだとなるために洗礼を受け」(一コリント12∙13)たのです。
[1268]
洗礼を受けた者は「霊的な家に造り上げられ、聖なる祭司となる」ための「生きた石」(一ペトロ2∙5)となります。洗礼によってキリストの祭司職、預言職、王職にあずかります。受洗者は、「暗やみの中から驚くべき光の中へと招き入れてくださったかたの力あるわざを」広く伝えるために「選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民」(一ペトロ2∙9)なのです。洗礼は、信者の共通祭司職にあずからせます。
[1269]
教会の一員となった受洗者は、もはや自分自身のものではなく69、自分たちのために死んで復活されたかたのものです70。ですから、人々に従い71、教会の交わりの中では彼らに仕え72、教会の指導者たちのいうことを聞き入れて服従し73、尊敬と愛情とをもって指導者たちを世話する74ようにと召されています。このように、洗礼によって責任と義務とが生じますが、また同時に、受洗者は教会の庇護のもとでの権利も有しています。それは、諸秘跡を受け、神のことばで養われ、教会のその他の霊的援助によって支えられるという権利です75。
[1270]
受洗者には、「〔洗礼によって〕神の子として生まれかわって、神から教会を通して受けた信仰を人々の前に宣言する義務」76と、神の民の使徒的活動・宣教活動に参加する義務とがあります77。