結果 1382-1401
「全能の神よ、つつしんでお願いいたします。あなたの栄光に輝く祭壇に、このささげものをみ使いに運ばせ、今、祭壇で御子の神聖なからだと血にともに結ばれるわたしたちが、天の祝福と恵みに満たされますように」『ローマ・ミサ典礼書』第1奉献文(ローマ典文)。。
「ああ、神の御子よ、あなたの神秘的な晩さんで、今日、聖体をいただかせてください。わたしはこの秘密をあなたの敵対者に話さず、あなたにユダの接吻もいたしません。むしろあの盗賊のように、主よ、あなたのみ国においでになるときには、わたしを思い出してください、と叫びます」ビザンチン典礼(ヨアンネス・クリュソストモス典礼) 「アナフォラ」の拝領前の祈り(F. E. Brighitman, Liturgies Eastern and western [Oxford 1896] 394)。。
「主の祝日に御子のからだを拝領するとき、信者はいのちの保証が与えられたという、よい知らせを互いに伝え合っています。それは、天使が〔マグダラの〕マリアに『キリストは復活なさったのだ』と伝えたときと同じです。今も、いのちと復活とがキリストをいただく者に与えられるのです」ファンキート「シリア・アンティオキア典礼様式に基づく聖務日課」 (Fanqith, Breviarium iuxta ritum Ecclesiae Antiiochenae Syrorum, v. 1 [Mossu1 1886] 237a-b)。。
「いただくたびに、主の死を告げ知らせるのです1コリント11・26参照。。もし主の死を告げ知らせるのならば、わたしたちは罪のゆるしを告げ知らせているのです。もし、御血がいつも罪のゆるしのために流されるのであるとすれば、わたしは罪をゆるしていただくためにいつも御血をいただかなければなりません。わたしはいつも罪を犯しているので、いつも薬をいただかなければならないのです」聖アンブロジウス『秘跡について』 (De sacramentis 4, 28 : CSEL 73, 57-58 [PL 16, 446])。。
「キリストは、わたしたちへの愛のゆえに死なれたのですから、わたしたちがいけにえをささげてその死を記念するとき、聖霊の到来によって、愛が与えられるよう願うのです。そして、キリストがわたしたちのために、進んで十字架につけられることを選ばれたその愛によって、わたしたちもまた聖霊の恩恵を受けて、世をはりつけにされたものとみなすことができるように、また、世に対してはわたしたちがはりつけにされたものとなることができるように、へりくだって祈るのです。……たまものとして愛を受けて罪に対して死に、神に対して生きるためです」ルスペの聖フルゲンティウス『ファビアノ反駁』 (S. Fulgentius Ruspensis, Contra gesta Fabiani 28, 17 : CCL 91A, 813-814 [PL 65, 789])。。
「もし、皆さんがキリストのからだ、またその肢体であるならば、主の食卓の上に置かれてあるのは皆さんを表す秘跡で、皆さんは皆さんを表す秘跡を受けます。皆さんはいただくものに対してアーメン(まことにそのとおりです)と答え、そう答えながらそれに同意しているわけです。あなたはキリストのからだということばを聞き、アーメンと答えます。ですから、あなたのアーメンが真実であるように、キリストの肢体でありなさい」聖アウグスティヌス『説教』 (S. Augustinus, Sermo 272 : PL 38, 1247)。。
「あなたは主の御血を味わったのに、自分の兄弟を認めてさえいません。この食卓に加わるのにふさわしいと認められた者を、あなたの糧を分かち合うのにふさわしくない者とあなたは考えているので、この食卓を汚しているのです。神はあなたをすべての罪から解放し、この食卓に招かれました。それなのに、それでもあなたはあわれみ深い者とはなっていません」聖ヨアンネス・クリュソストモス『コリントの信徒への第1の手紙講話』 (S. Ioannes Chrysostomus, In epistulam I ad Corinthios, homilia 27, 5 : PG 61, 230)。。