結果 1450-1460
「キリスト信者は思い出したすべての罪を告白し、神のあわれみを受けるために打ち明けるように努めなければなりません。もしこれと反対に、故意に大罪を告白しないときには、司祭を通じて与えられる神のゆるしは与えられません。『もし病人が、恥ずかしがって自分の傷を医者に見せなければ、医者は自分が知らない傷を治すことはできない』からです」同第5章(DS1680)。 聖ヒエロニムス『コヘレト書注解』 (S. Hieronymus, Commentarius in Ecclesiasten 10, 11 : CCL 72, 338 [PL 23, 1096])参照。。
「自分の罪を告白する者は、すでに神とともに行動しています。神があなたの罪をとがめておられます。あなたもまた、自分の罪をとがめるなら、あなたは神とともに行動しているのです。人間と罪びととは、いわば二つのものです。人間、それは神ご自身が造られたものです。罪びと、それは人間が作ったものです。あなたが作ったものを壊しなさい。そうすれば、神は神ご自身が造られたものを救ってくださいます。……自分のしたことが嫌になり始めたら、そのとき、あなたのよい行いが始まります。自分の悪い行いをとがめているからです。よい行いの始まりは、悪い行いの告白です。あなたは真理を行い、光の方に来ます」聖アウグスティヌス『ヨハネ福音書講話』(S. Augustinus, In Iohanms evangelium tractatus 12, 13: CCL 36, 128 [PL 35, 1491])。。
「しかし、わたしたちの罪のために果たす償いは、キリスト・イエスによるものであるから、わたしたちのものでないということではありません。なぜなら、わたしたち自身では何もできませんが、『わたしたちを強めてくださるかた』の協力によって『わたしたちはすべてができる』からですフィリピ4・13参照。。わたしたち自身は何も誇るものを持ちませんが、わたしたちの栄光はキリストの中にあります。そのキリストの中でわたしたちは……罪を償い、『悔い改めにふさわしい実を結ぶ』のですがルカ3・8参照。、それはキリストの力から出たものであり、キリストによって父にささげられ、キリストを通して父に受け入れられるのです」トリエント公会議第14総会『ゆるしの秘跡について』第8章(DS1691)。。