[1451]
悔い改める者の行為としては、まず痛悔が挙げられます。それは「罪を犯したことを心から悲しみ、その罪を忌み嫌うことであり、今後再び罪を犯さないという決心を伴うものです」トリエント公会議第14総会『ゆるしの秘跡について』第4章(DS1676).。
[1452]
すべてを超えて愛すべき神への愛に基づく痛悔は、「完全な」痛悔(愛による痛悔)と呼ばれます。このような痛悔をするならば小罪のゆるしが得られ、また、できるだけ早くゆるしの秘跡を受けるという固い決心がそれに伴うならば、大罪のゆるしも得られます同第4章(DS1677)参照。。
[1453]
「不完全な」痛悔(あるいは「後悔」)といわれるものもまた、神のたまものであり、聖霊の促しによるものです。これは、罪の醜さを思う心、あるいは永遠の罰や罪びとが受けるその他の罰に対する恐れなどから生じるもの(恐れによる痛悔)です。良心のこのような動きから、ゆるしの秘跡によって成し遂げられる恵みの働きのもとでの心の変化が始まる可能性があるのです。不完全な痛悔だけでは大罪のゆるしは得られませんが、ゆるしの秘跡によってそのゆるしを得るための心の準備となります同第4章(DS1678,同「ゆるしの秘跡についての規定」 5(DS1705)参照。。
[1454]
ゆるしの秘跡を受ける準備として、神のことばに照らして良心の糾明を行うことが勧められます。そのためにもっとも適切な指針は、神の十戒や福音書の教え、使徒たちの手紙に記された倫理的な教えなどに見いだされます。たとえば、山上の説教や使徒たちの訓戒などですローマ12章〜15章、1コリント12章〜13章、ガラテヤ5章、エフェソ4章〜6章参照。。