[1474]
自分の罪を清め、神の恵みに助けられて聖となることを求めるキリスト者は、一人でいるのではありません。「神の子らのそれぞれのいのちは、キリストにおいて、キリストによって、他のすべてのキリスト者である兄弟姉妹のいのちに感嘆すべきしかたで結ばれ、神秘的なかたであるキリストの神秘体の超自然的な一致のうちにあります」84。
[1475]
聖徒の交わりのうちにある「信者たち⸺天上の祖国にある人々、清めのために煉獄にある人々、まだこの世の旅路にある人々⸺の間には、愛の不断のきずなとあらゆる善の豊かな分かち合いとが存在します」85。この感嘆すべき分かち合いの中で、ある人の聖性は、他の人の罪が周りの人々に対して引き起こす損害よりはるかに多く周りの人々に益をもたらします。ですから、痛悔した罪びとは聖徒の交わりのおかげで、罪の結果として生じる苦しみから速やかに、効果的に解放されることができます。
[1476]
聖徒の交わりのこのような霊的善はまた、教会の宝とも呼ばれます。「それは世紀を重ねて積み上げられた物的財産のような宝ではなく、人類が罪から解放されて御父との交わりを持つようになるためにささげられた、主キリストのあがないと功徳とが神のもとに持つ、無尽蔵の宝です。わたしたちのあがない主であるキリストのうちには、その偉大なあがないの償いと功徳とがあふれるほどに存在するのです」86。
[1477]
「この宝に属するものとしてはまた、聖なるおとめマリアやすべての聖人たちが神の御前でささげる祈りや善行などの、はかりしれないほど大きく、つねに新たな功徳があります。聖人たちはキリストの恵みによってその後に従いながら自分たち自身を聖化し、御父からゆだねられた任務を果たしました。こうして彼らは、自分自身の救いに努めながら、神秘体の中で結ばれた兄弟姉妹の救いにも寄与してきたのです」87。