[1503]
キリストが病人に対して共感を抱き、さまざまな病人をいやされたということは103、神がその民を訪れてくださり104、神の国が近づいたということをはっきりと示すものです。イエスはいやす権能だけではなく、罪をゆるす権能も持っておられます105。イエスは人間の霊肉全体をいやしに来られました。病人が必要とする医者です106。苦しむすべての人に対する共感はきわめて深く、「〔わたしが〕病気のときに見舞〔っ〕てくれた」(マタイ25∙36)ということばからも分かるとおり、苦しむ人々とご自身とをまったく同一視なさいました。病人へのイエスの大きな愛は、長い時の流れの中でも途切れることなく続き、今日でも、肉体や精神の病に苦しむ人々へのいたわりの心をキリスト者に起こさせてくれています。このイエスの愛が、苦しむ人々を助けるキリスト者たちのたゆまぬ努力の源となっているのです。
[1504]
イエスはしばしば、病人に信じることを求めます107。治癒のためにつばや按手108、泥や沐浴109などのしるしを用いられます。病人はイエスに触れようとします110。「イエスから力が出て、すべての人の病気をいやしていたから」(ルカ6∙19)です。同じように、今もキリストは秘跡を通してわたしたちに「触れ」、わたしたちをいやし続けておられます。
[1505]
多くの苦しみに心を打たれたキリストは、病人が触れるままにさせておかれるだけではなく、「わたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った」(マタイ8∙17)とあるとおり、人々の苦しみをご自分のものとなさいます111。しかし、すべての病人をいやされたわけではありません。キリストによる治癒は、神の国の到来のしるしでした。これらのしるしは、より抜本的な治癒を告げていたのです。それは、キリストの死と復活とによる罪と死に対する勝利です。十字架上で、キリストは悪のすべての重荷をご自分の上に背負われ112、「世の罪」(ヨハネ1∙29)を取り除かれました。病気は世の罪の一つの結果にほかなりません。キリストは十字架上での受難と死を通して、苦しみに新たな意味を与えられました。すなわち、苦しみはわたしたちをキリストに似た者とし、キリストのあがないの苦しみにわたしたちを一致させることができるようになったのです。