[1506]
キリストは弟子たちをそれぞれの十字架を担ってご自分について来るように招かれます113。弟子たちはキリストに従いながら、病気や病人たちに対する新しい見方を身に着けました。イエスは弟子たちをご自分の貧しく仕える生活に加わらせ、ご自分のあわれみと治癒の務めにあずからせてくださいます。「十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした」(マルコ6∙12-13)。
[1507]
復活されたキリストはこの派遣を新たにし(「彼ら〔が〕わたしの名によって……病人に手を置けば治る」〈マルコ16∙17-18〉)、教会がみ名を呼び求めて行うしるしによって、これを追認しておられます114。これらのしるしは、イエスが「救う神」115であることをとくに明らかにします。
[1508]
聖霊は、ある人々に治癒の特別なカリスマ116を与えて、復活されたかたの恵みの力を現されます。しかし、いかに熱心な祈りをしたとしても、すべての病気が治されるとは限りません。たとえば、聖パウロはキリストから、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮される」(二コリント12∙9)ということや、自分が耐えなければならない苦しみには「キリストのからだである教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満た〔す〕」(コロサイ1∙24)意味があることなどを教わるのです。
[1509]
「病人をいやしなさい」(マタイ10∙8)。教会はこの務めをキリストから受け、病人の世話と、それに伴う執り成しの祈りとによって、これを果たすように努めています。教会は、魂およびからだの医者として人に生きる力を与えるキリストの現存を信じています。この現存はとくに秘跡を通して、具体的には、永遠のいのちを与えるパンである117聖体(エウカリスチア)を通して現実のものとなります。聖パウロは聖体とからだの健康との関係をほのめかしています118。
[1510]
ところで、使徒時代の教会は病人のための固有な儀式を持っていました。聖ヤコブはそのことを次のようなことばで明らかにしています。「あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます」(ヤコブ5∙14-15)。聖伝はこの儀式を教会の七つの秘跡の一つとして認めています119。