結果 1581-1589
「高慢な役務者は悪魔と同一視されるべきです。それでも、キリストのたまものは汚されません。このような役務者を通して流れ出るものは清さを保ち、彼を通して流れるものは澄んだままで、肥沃な土地までやってきます。……秘跡の霊的力は光のようなもので、照らされなければならない人々はそれを清いままに受け、たとえ汚れたものを通っても、それ自体が汚されることはありません」聖アウグスティヌス『ヨハネ福音書講話』(S. Augustinus, In Iohannis evangelium tractatus 5, 15 : CCL 36, 50 [PL 35, 1422])。。
「人の心を見通される父よ、あなたが司教としてお選びになったこのしもべが、聖なる群れを牧し、昼も夜もあなたに仕えて最高の祭司職をとがめられることなく果たすことができますように。あなたの顔をたえず和らげ、聖なる教会の供え物をささげ、最高の祭司職の霊によって、おことばのとおり罪をゆるす権能を受けますように。あなたが割り当てられるままに役割を分配し、あなたが使徒にお与えになった権能によっていっさいのきずなを解くことができますように。御子イエス・キリストによって芳しい香りをささげ、柔和と清い心であなたに喜ばれる者となりますように」聖ヒッポリュトス『使徒伝承』 (Traditio apostolica, 3 : op. cit., 8-10)。。
「主よ、あなたが司祭の位階に高めてくださった者を聖霊のたまもので満たし、非の打ちどころなくあなたの祭壇の前に立ち、み国の福音を告げ知らせ、あなたの真理のことばの奉仕を果たし、霊的供え物と犠牲をささげ、新たに造り変える洗いを通してあなたの民を一新させることができるようにしてください。こうして、この司祭自身が再臨の日に御ひとり子であるわたしたちの神、救い主イエス・キリストを迎えて、あなたの限りないいつくしみにより、その任務の忠実な履行に対する報いを受けることができますように」ビザンチン典礼「司祭抜手の祈り」 (2 oratio chirotomae presbyteralis : Ευχολογιον το μεγα [Roma 1873] 136)。。
「他の人々を清める前に、まず自分自身が清められなければなりません。人に教えることができるためには、教えを身につけなければなりません。他の人々を照らすためにはまず自分自身が光となり、他の人々を神に近づけるためには自分が神に近づき、人々を聖化し、手を取って導き、賢明な助言を与えるためには、自分自身が聖化されていなければなりませんす」ナジアンゾスの聖グレゴリオス『説教』 (S. Gregorius Nazianzenus, Oratio 2, 71 : SC 247, 184 [PG 35, 480])。。「わたしは、わたしたちがどなたに仕え、どのような地位にあり、どなたのもとへ進んでいるのかを知っています。わたしは、神の崇高さと人間の弱さとを1知っています。しかしまた、神の力がどんなものであるかも知っています」同『説教』 (Ibid.,2,74:SC247,186 [PG 35, 481])。。「〔それでは、司祭とは何でしょうか。司祭とは〕真理の擁護者であり、将来は天使たちと並んで立ち、大天使たちとともに神を褒めたたえ、天上の祭壇にいけにえをささげ、キリストの祭司職を分かち持ち、被造物を改造し、〔人に神の〕似姿を取り戻させ、天の国のためにそれを造り直す者となるのです。そして、そのもっとも偉大な点を述べるとすれば、司祭は、将来は自分自身が神化され、他の人々をも神化させるのです」同『説教』 (Ibid.,2,73:SC247,186 [PG 35, 481])。。
また、アルスの主任司祭聖ヨハネ・ビアンネはこうもいっています。「この世であがないのわざを続けるのは、司祭です」。「人はこの世で司祭が何であるかを本当に理解すれば、恐れのゆえではなく、愛のゆえに死ぬでしょう」。「祭司職とは、イエスの心の愛です」B・ノード『アルスの司祭』 (B. Nodet, Le Cure d'Ars. Sa pensee-son coeur [Le Puy 1966] 98)。。