[1601]
「男女が相互に全生涯にわたる生活共同体を作るために行う婚姻の誓約は、その本性上、夫婦の善益と子の出産および教育に向けられています。受洗者間の婚姻の誓約は、主キリストによって秘跡の尊厳にまで高められました」「新教会法典」第1055条第1項。。
[1602]
聖書は神に似せて造られた男と女の創造の話で始まり創世記1・26-27参照。、「小羊の婚宴」(黙示録19∙9)黙示録19・7参照。の話で終わります。そして、聖書の初めから終わりまで、結婚とその神秘、その制定と神がその結婚に与えられた意義、その起源と目的、救いの歴史の流れの中で成就されていくその多様な姿、罪ゆえに生じたその困難さ、キリストと教会との新しい契約の中で「主に結ばれている」(一コリント7∙39)者との再婚などについて語っていますエフェソ5・31-32参照。。
[1603]
「夫婦によって結ばれる生命と愛の深い共同体は創造主によって設立され、法則を与えられました。……神ご自身が婚姻の創設者です」『現代世界憲章』,第48項。。結婚への召し出しは、創造主によって造られた男女の本性に刻み込まれています。結婚は、時の流れとともにさまざまな文化、社会構造や考え方などに応じていろいろと変化しましたが、人間が作り出した制度ではありません。多様性を認めたとしても、そこにある共通で恒久的な特徴を見落としてはなりません。結婚の崇高さについては世界のあらゆるところで同じような鮮明さで表されているわけではありませんが『現代世界憲章』,第47項参照。、すべての文化は結婚の結びの偉大さを認めています。「個人の幸福、ならびに一般社会とキリスト教社会の幸福は婚姻および家庭と呼ばれる共同体の健全な状態に固く結ばれています」『現代世界憲章』,第47項。。
[1604]
愛によって人間をお造りになられた神は人間を愛へとお招きになられましたが、これはすべての人間に内在する根本的な召し出しです。人間は「愛である」(一ヨハネ4∙8,16 参照)神にかたどり、神に似せて造られたからです創世記1・27参照。。神が人間を男と女とに造られたので、男女の相互愛は、人間を愛される神の絶対で不滅の愛を映し出すものとなります。この相互愛は創造主の目にはよいもの、きわめてよいものなのです創世記1・31参照。。神によって祝福されたこの愛は、子供を産み、被造界を維持する共同の働きを行うことを目指しています。「神は彼らを祝福していわれた。『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ』」(創世記1∙28)。
[1605]
聖書が明言するとおり、男と女は相互のために造られています。「人がひとりでいるのはよくない」(創世記2∙18)。女は男にとって「その肉の肉」創世記2・23参照。、すなわち、同等の人、もっとも近い者であって、わたしたちの助けの源である神詩編121・2参照。を表す「助ける者」創世記2・18参照。として、神から与えられているのです。「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」(創世記2∙24)。これは男女二人の生活の永続的な結合を意味していることをキリスト自らが示され、「だから、二人はもはや別々ではなく、一体である」(マタイ19∙6)ということばで、創造主の「初めから」の計画マタイ19・4参照。を想起させておられます。
[1606]
すべての人は自分の周囲や自分のうちに悪を体験します。この体験はまた、男と女との間でも見られます。男女の結合はつねに、不和、支配欲、不忠実、しっと、憎悪や断絶に終わる衝突などの危険にさらされています。この無秩序は、大きさには多少の相違が見られたり、それぞれの文化、時代、個人などの努力による多少の解決がなされたりしているとはいえ、いつどこででも起こっている問題です。
[1607]
わたしたちが経験し、苦しんでいるこの無秩序は、キリスト教信仰によれば、男と女の本性や、両者の関係に由来するのではなく、罪の結果なのです。神との断絶をもたらした人祖の最初の罪の結果は、男と女との原初の交わりを破壊しました。男女の関係は相互の責任のなすり合いでゆがめられ創世記3・12参照。、本来は創造主のたまものである相互間のあこがれは創世記2・22参照。支配と欲望の関係へと変わってしまいました創世記3・16参照。。産み、増え、地を従わせる男女の優れた召し出しは創世記1・28参照。、産みの苦しみと糧を得る労苦を背負うものになりました創世記3・16-19参照。。
[1608]
こうして創造の秩序は甚だしく乱されたとはいえ、存在し続けています。男と女は罪による損傷をいやすために恵みの助けを必要とし、神はその限りない慈悲により、決してこれを拒むことはありませんでした創世記3・21参照。。神のこの助けなしには、男と女は神が創造によって定められた「初めから」の目的に沿って自分たちの結合を果たすことはできません。
[1609]
あわれみ深い神は、罪びとである人間をお見捨てにはなられませんでした。罪の結果としての罰、すなわち、はらみの苦しみ創世記3・16参照。と「顔に汗を流す」(創世記3∙19)労働はまた、罪の害を抑制する薬でもあります。原罪の後では、結婚が、自己閉鎖や自己愛に基づく「利己主義」、自己の快楽の追求などに打ちかち、他者に心を開いて相互扶助と自己献身の態度を取ることができるよう助けてくれます。
[1610]
結婚の一夫一婦制と不解消性とに関する道徳的意識は、旧約の律法の導きのもとでしだいに発展してきました。太祖や王たちの一夫多妻については、まだ明白には禁じられていません。しかし、モーセに与えられた律法は、キリストのことばによればモーセが妻の離縁をゆるす理由とした男の「心のかたくなさ」の跡は見られるようですがマタイ19・8、申命記24・1参照。、男によるわがままな支配から女を保護することを目指したものです。
[1611]
預言者たちはイスラエル民族と神との契約を二人だけの忠実な夫婦愛にたとえホセア1章〜3章、イザヤ54章、イザヤ62章、エレミヤ2章〜3章、エレミヤ31章、エゼキエル16章、エゼキエル23章参照。、選ばれた民の良心を培い、結婚の一夫一婦制と不解消性とのより深い理解へと導いていきましたマラキ2・13-17参照。。ルツ記とトビト記は結婚について、とくに夫婦の忠実さと愛情についての優れた見方を示しています。伝承はつねに、雅歌の特異な表現の中に、神の愛の反映としての人間愛、「死のように強く」、「大水も消すこと〔の〕できない」(雅歌8∙6-7)愛を読み取っています。
[1612]
神とその民イスラエルとの間の結婚の契約は、新しい永遠の契約を準備しました。この新しい契約の中で神の御子は人となり、自らのいのちをささげ、ご自分によって救われた全人類とある意味で一致し『現代世界憲章』,第22項参照。、こうして、「小羊の婚礼」を準備なさいました黙示録19・7,9参照。。
[1613]
イエスは宣教生活の初め、ある婚礼の機会に、ご自分の母親の願いに応じて最初のしるしを行われましたヨハネ2・1-11参照。。教会は、カナの婚宴にイエスが臨席されたことを重視します。教会は、ここで結婚がよいものであることが確認され、これからは結婚がキリストの現存の効果的しるしとなることが宣言された、と読み取っています。
[1614]
イエスは、創造主が当初に望まれた男女の結合の本来の意味を明確に教えられました。すなわち、モーセが妻を離縁する許可を与えたのは、人間の心のかたくなさゆえの譲歩でしたマタイ19・8参照。。男女の結婚による結合は不解消です。それは神ご自身が夫婦を結び合わせられたからです。「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」(マタイ19∙6)。
[1615]
結婚のきずなの不解消性に関するイエスの断定的な強調は人々を困惑させ、実行不可能な要求と受け取られる可能性がありましたマタイ19・10参照。。しかし、イエスは夫婦に担うことのできない重荷、モーセの律法よりも重い荷を負わせられたのではありませんマタイ11・29-30参照。。イエスは罪によって乱された創造の原初の秩序を回復するために来られ、神の国の新しい展望の中で結婚生活を生きるための力と恵みを自らお与えになります。夫婦はキリストの後に従い、自分を捨て、自分の十字架を背負ってこそマルコ8・34参照。、はじめて結婚の本来の意味を「受け入れ」マタイ19・11参照。、キリストに助けられながらその教えに基づいて生活することができるのです。キリスト者の結婚の恵みは、すべてのキリスト教的生活の源であるキリストの十字架の実りなのです。
[1616]
使徒パウロはこのことを理解させようとして、「夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のためにご自分をお与えになって、聖なるものとなさったように、妻を愛しなさい」(エフェソ5∙25-26 参照)と述べ、さらに付け加えて、「『それゆえ、人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる』。この神秘は偉大です。わたしは、キリストと教会について述べているのです」(エフェソ5∙31-32)と語っています。
[1617]
キリスト教的生活全体に、キリストと教会との夫婦愛のしるしが刻まれています。神の民の一員とする洗礼は、すでに結婚の神秘です。すなわち、洗礼は結婚式の前の水の洗いでありエフェソ5・26-27参照。、その後にエウカリスチアという婚宴が続きます。キリスト者の結婚はキリストと教会との契約の秘跡、その効果的なしるしなのです。受洗者同士の結婚は新約の恵みを示し、与えるので、新約の真の秘跡ですトリエント公会議第24総会『結婚の秘跡について』 (Doctrina de sacramento Matrimonii : DS1800)、「新教会法典」第1055条第1項参照。。
[1618]
キリストはキリスト教的生活全体の中心です。キリストとのきずなが、家族、社会、他のすべてのきずなに優先します
ルカ14・26、マルコ10・28-31参照。。教会の当初から、結婚の幸せを放棄した男女が存在していました。それは、小羊が行かれるところにはどこにでもついて行き
黙示録14・4参照。、主のことに心を遣い、主に喜ばれることを求め
1コリント7・32参照。、おいでになる花婿を迎えに出る
マタイ25・6参照。ためです。キリスト自ら、このような生き方をしてご自分に従うようにとある人々を招かれました。キリストこそ、この生き方の模範です。
「結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた者もいるが、天の国のために結婚しない者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい」(マタイ19∙12)。
[1619]
天の国のための独身は、洗礼の恵みの発露、キリストとのきずなの卓越性とその再臨の熱烈な待望との優れたしるしであり、さらに、結婚が過ぎ行く現世のことがらであることを思い起こさせるしるしマルコ12・25、1コリント7・31参照。でもあります。
[1620]
結婚の秘跡も神の国のための独身も、キリストご自身に由来するものです。キリストが、この双方に意味を与え、み旨に従って生きるために必要な恵みを与えられます
マタイ19・3-12参照。。神の国のための独身の価値
『教会憲章』,第42項、第2バチカン公会議『修道生活の刷新・適応に関する教令』,第12項(Perfectae caritatis)、『司祭の養成に関する教令』,第10項参照。と結婚のキリスト教的意義とは、切り離すことのできない、互いに補い合うものです。
「結婚を誹謗、中傷する者はだれでも、純潔の輝きを曇らせてしまいます。それをたたえる者はだれでも、純潔をより称賛に値する輝かしいものとします。悪と比較してのみ善に見えるものは、特別に善とはいえません。善であると認められるものよりもさらによいもの、それが最高の善です」聖ヨアンネス・クリュソストモス『処女性について』 (S. Ioannes chrysostomus, De virginitate 10, 1: SC 125, 122 [PG 540])(ヨハネ・パウロ2世使徒的勧告『家庭―愛といのちのきずな』16(Familaris consortio : AAS 74 [1982] 98)参照。。
[1621]
ラテン典礼では、二人のカトリック信者間の結婚式は、すべての秘跡がキリストの過越の神秘と関連していることから、普通、ミサの中で行われます『典礼憲章』,第61項参照。。聖体祭儀では新しい契約の記念が行われますが、愛する花嫁である教会のためにご自分をお与えになったキリストは、この契約において、教会と永遠に結ばれたのです『教会憲章』,第6項参照。。したがって、新郎新婦が自分たちの生活を奉献して相互に与え合うという同意を、エウカリスチアのいけにえにおいて現在化される教会のためのキリストの自己奉献に一致させ、聖体を拝領するのはきわめて適切なことです。それは二人がキリストの同じからだと同じ血をいただき、キリストにおいて「ただ一つのからだ」となるためです1コリント10・17参照。。
[1622]
「聖化の秘跡として、結婚式は……式自体が有効でふさわしく実り豊かなものでなければなりません」ヨハネ・パウロ2世『家庭』67(loc. cit., 162).。したがって、結婚する二人がゆるしの秘跡を受けて結婚式に備えるのはふさわしいことです。
[1623]
ラテン教会の伝統では、新郎新婦が教会の前でそれぞれの同意を表すことにより、キリストの恵みの役務者として互いに結婚の秘跡を授け合います。東方教会の伝統では、祭司(主教または司祭)は新郎新婦によって相互に表明される同意の証人となります「東方教会法典」第817条参照。が、秘跡の有効性のためにはその祭司の祝福も必要となります同第828条参照。。
[1624]
さまざまな典礼様式における祝福の祈りや聖霊の働きを願う祈り(エピクレシス)の種類は豊富ですが、それは新郎新婦、とくに新婦の上に神の恵みと祝福とを願うものです。この秘跡のエピクレシスで、新郎新婦はキリストと教会との愛の交わりである聖霊をいただきますエフェソ5・32参照。。聖霊こそ二人の契約の刻印であり、二人の愛の尽きない泉であり、二人の忠実を更新させる力なのです。
[1625]
結婚の誓約の当事者は、洗礼を受けた一人の男性と一人の女性で、自由に結婚することができ、自由意志をもって同意を表す者たちです。「自由に結婚することができる」とは次のことを意味します。
⸺強制されていないこと。
⸺自然法、あるいは教会法上の結婚の障害がないこと。
[1626]
教会は新郎新婦間の同意の交換を、「結婚を成立させる」不可欠な要素とみなしています 「新教会法典」第1057条第1項参軌。同意がなければ結婚は成立しません。
[1627]
同意とは、「配偶者が互いに自分を与えそして受ける人間行為」 『現代世界憲章』,第48項。「新教会法典」第1057条第2項参照。のうちに成立するものであり、それは、「わたしはあなたを妻とします」「わたしはあなたを夫とします」『結婚式(規範版第2版)』62(Ordo celebrandi Matrimonium, Editio typica altera [Typis Polyglottis Vaticanis 1991] 17)。ということばで表されます。新郎新婦を互いに結び合わせるこの同意は、二人が「一体」となる創世記2・24,マルコ10・8、エフェソ5・31参照。ことで完成します。
[1628]
同意は、暴力または外部からの強度の恐怖によって束縛されていない当人各自の意志行為でなければなりません 「新教会法典」第1103条参軌。いかなる人間の権力も、この同意に取って代わることはできません「新教会法典」第1057条第1項参照。。もしもこの同意が自由意志で行われたものでないとすれば、結婚は無効です。
[1629]
このような理由(あるいは結婚を無効とする他の理由「新教会法典」第1083 1108条参照。)があれば、教会は、管轄の教会裁判所によって状況を調査した後、「結婚の無効」、すなわち、結婚が成立していなかったということを宣言することができます。この場合、当の二人は自由に他の人と結婚することができます。ただし、以前の結合によって生じた自然的な義務は果たさなければなりません「新教会法典」第1071条第1項第3号参照。。
[1630]
結婚式に立ち会う司教や司祭(または助祭)は教会の代表者として二人の同意を受け止め、教会の祝福を与えます。教会の役務者(および証人たち)の臨席は、結婚が教会的出来事であることを明らかにするものです。
[1631]
そのために教会は、通常、信者が教会の儀式に従って挙式するように命じていますトリエント公会議第24総会『婚姻法改定についての教令「タメットシ」』 (Tametsi: DS1813〜DS1816)、「新教会法典」第1108条参照。。このような規定が定められていることには、いろいろな理由があります。
⸺秘跡的結婚は典礼行為です。ですから、結婚は教会の公の典礼の中で行われるのがふさわしいのです。
⸺結婚は人を教会での一定の身分に加入させ、教会における夫婦間の権利と義務、ならびに子供に対する権利と義務とを授けます。
⸺結婚は教会の中での生活様式の一つですから、結婚についての確証がなければなりません(そのために、証人の立ち会いが義務づけられます)。
⸺同意を公に表すことによって、そのときの同意が支えられ、それを忠実に守るように助けられます。
[1632]
新郎新婦の同意が自由で責任あるものとなるため、また、結婚の契約が人間としてまたキリスト者としての堅固で永続的な土台の上に立つためには、
結婚の準備がきわめて重要です。xs+両親や家族の模範と教訓とがこの準備のための最良の方法であることに変わりはありません。
結婚や家庭の人間的およびキリスト教的価値を伝達するためには、司牧者と「神の家族」であるキリスト者共同体の役割が不可欠です
「新教会法典」第1063条参照。。現代では多くの若者が亀裂した家庭を経験しており、家庭以外では結婚や家庭についての基本的教えを十分に受けられない状況であるだけに、その役割はいっそう重要です。xs-
「若い人たちに対しては、とくに家庭において、夫婦愛の品位、任務、行為について時機をはかって適切に教えなければなりません。こうして、彼らは貞潔についての教育を受けた後、時が来れば清い婚約時代を経て結婚に移ることができます」『現代世界憲章』,第49項。。
[1633]
多くの国では、混宗結婚(カトリック信者と非カトリック受洗者間の結婚)が、かなり頻繁に行われています。これには、配偶者ならびに司牧者の特別な心配りが必要です。異宗結婚(カトリック信者と非キリスト者間の結婚)の場合は、いっそうの慎重さが求められます。
[1634]
配偶者のキリスト教宗派の違いは、結婚にとって克服できない障害ではありません。それは、二人がそれぞれの教会で受けたものを共有し、お互いがキリストにどのように忠実に生きるかを学ぶことに成功する場合にいえることです。ただし、混宗結婚の難しさを過小評価してはなりません。それは、キリスト者間の分離がまだ解決されていない事実によるものです。配偶者は家庭内で、キリスト者間の不一致の悲劇に出合いかねません。異宗結婚には、この困難をさらに深刻なものにする可能性が秘められています。信仰に限らず、結婚そのものについての考えの相違、それに宗教的考えの違いが、結婚生活の中で、とくに子供の教育に関して、衝突の原因になりえます。こうした場合には、宗教的無関心の誘惑が待ち構えています。
[1635]
ラテン教会の現行法では、混宗結婚が合法となるためには教会権威者の明示的許可を必要とします「新教会法典」第1124条参照。。異宗結婚の場合には、結婚が有効となるために障害の明示的免除が必要とされます「新教会法典」第1086条参照。。この許可もしくは免除が与えられるための条件は、両者が結婚の本質的目的と特性とを知り、それを拒否しないこと、さらにまたカトリック者が、自分には自分の信仰を保持しカトリック教会での子供の洗礼と教育を保証する義務があり、そのことを非カトリック者側にも知らせる必要があるということを確認することです「新教会法典」第1125条参照。。
[1636]
多くの国々では、教会一致運動における対話のおかげで、かかわりのあるキリスト教諸派は混宗結婚者のための共同司牧を発足させました。その任務は、このような夫婦が自分たちの特殊な境遇を信仰の光に照らして生きるよう助けることにあります。さらにその活動は、互いに対する配偶者の義務に関して、また各自の所属教会に対する義務に関して起こりうる緊張を克服するように助け、信仰に共通なものを成熟させ、異なる面を尊重し合うように励ますことも目的としています。
[1637]
異宗結婚におけるカトリック信者の配偶者は、特別な任務を持っています。「なぜなら、信者でない夫は、信者である妻のゆえに聖なる者とされ、信者でない妻は、信者である夫のゆえに聖なる者とされているからです」(一コリント7∙14)。もし、この「聖化」が配偶者の一方をキリスト教信仰への自由な回心に導くならば、キリスト者の配偶者にとっても教会にとっても、大きな喜びです1コリント7・16参照。。誠実な夫婦愛、家庭人としての諸徳のつつましく忍耐強い実践、たゆまぬ祈りなどを通して、信者でない配偶者を改宗の恵みにまで導くことができます。
[1638]
「有効な婚姻に基づいて、夫婦間にはその本性上永続的かつ排他的なきずなが生じます。さらにキリスト者同士の婚姻においては、夫婦はその身分に伴う義務および尊厳のゆえに、特別の秘跡によって強められ、いわば祝聖されます」 「新教会法典」第1134条。。
[1639]
新郎新婦が互いに与え受け入れ合う同意は、神ご自身によって押印されたものですマルコ10・9参照。。二人の契約から、「神の制定による堅固な制度が社会の前にも生まれます」『現代世界憲章』,第48項。。夫婦の契約は神と人類との契約に組み入れられ、「真正な夫婦愛は神の愛の中に取り上げられます」『現代世界憲章』,第48項。。
[1640]
したがって、結婚のきずなは神によって結ばれたものであり、受洗者同士の完成の認証婚は決して解消できません。夫婦の自由な人間的行為と結婚の完成とによって生じるこのきずなは、取り消すことのできないもので、神の忠実さによって保証された契約の起源を明らかにするものです。教会には、神の英知によるこの決定に反することをいう権限はありません「新教会法典」第1141条参照。。
[1641]
キリスト者の夫婦は、「結婚生活という身分と序列において、神の民の中で自分たちに固有のたまものを持っています」『教会憲章』,第11項。。この結婚の秘跡に固有な恵みは、配偶者の愛を完成し、解消できない結合を強めるものです。二人はこの恵みによって、「結婚生活および子女の出産と養育を通して聖となるよう互いに助け合います」『教会憲章』,第11項。『教会憲章』,第41項参照。。
[1642]
キリストがこの恵みの泉です。「かつて神が愛と忠実の契約をもって、その民を助けたように、今は人々の救い主・教会の夫は婚姻の秘跡をもってキリスト信者である配偶者を助けに来ます」
『現代世界憲章』,第48項。。そしてキリストは、彼ら夫婦とともにとどまり、二人が自分の十字架を背負って後に従い、倒れたら立ち上がり、互いにゆるし合い、互いの重荷を担い合い
ガラテヤ6・2参照。、「キリストに対するおそれをもって、互いに仕え合い」(エフェソ5∙21)、超自然的で、繊細で、豊かに実を結ぶ愛で愛し合う力をお与えになります。キリストは、夫婦がすでにこの世にありながら、互いの愛と家族生活との喜びの中で小羊の婚礼を前もって味わえるようにしてくださいます。
「教会によってともに結ばれ、奉献によって強められ、祝福によって固められ、天使によって告げ知らされ、御父によって承認された結婚の幸せを、わたしはいったいどのように表すことができるでしょうか。……一つの希望、一つの願いと、一つの規律、一つの奉仕をともにする二人の信じる者のきずなは何とすばらしいことでしょうか。彼らはともに信仰の仲間であり、同じ主に仕える者同士です。心もからだも分かたれることはありません。事実、二人は一つのからだを持つ二人です。からだが一つであれば心もまた一つです」テルトゥリアヌス『妻へ』 (Tertullianus, Ad uxorem 2, 8, 6-7: CCL 1, 393 [PL 1,1415-1416]),ヨハネ・パウロ2世『家庭』13(loc. cit., 94)参照。。
[1643]
「夫婦愛は、肉体や本能の要求、感情や情緒的な力、精神や意志の向上など、人格のすべての要素を含む全体に及んでいるのです。それは一つのからだに結ばれることを超えて、一つの心、一つの魂を形づくっていく深い人格的な一致を目指しています。したがって夫婦愛は、決定的な相互の与え合いにおいて不解消性と忠実を求めます。それはまた生殖へと開かれているのです。一言でいえば、それらは自然な夫婦愛の典型的な特徴ですが、それを純化し強めるばかりでなくキリスト者固有の諸価値を表現するところまで高めていく新しい意義を持っています」ヨハネ・パウロ2世『家庭』13doc. cit., 96)。。
[1644]
夫婦愛はその本性から、二人の生涯にわたる人格共同体の単一性と不解消性とを要求します。「だから、二人はもはや別々ではなく、一体である」(マタイ19∙6)167。「全面的に自己を与え合うという結婚の約束を日々忠実に守りながら、彼らの交わりの中でたえず成長するように呼ばれています」ヨハネ・パウロ2世『家庭』19(loc. cit., 101。。この人間的交わりは結婚の秘跡が与えるイエス・キリストにおける交わりによって強められ、純化、完成され、ともに営む信仰生活、ともに拝領する聖体によって深められていくのです。
[1645]
「相互の完全な愛の中に夫と妻とに平等に認めるべき人間(ペルソナ)の尊厳は、主によって確認された一夫一婦制を明らかにします」『現代世界憲章』,第49項。。一夫多妻はこの平等の尊厳と一夫一婦に限る夫婦愛とに反するものですヨハネ・パウロ2世『家庭』19(loc. cit., 102)参照。。
[1646]
夫婦愛は、その本性から夫婦に変わらぬ忠実さを要求します。それは、夫婦が相互に自分を与え合う結果として表れるものです。愛は決定的であるはずです。「とりあえず」ということはありえません。「この深い一致は、ふたりの人間(ペルソナ)が互いに与え合うということであって、子供の善と同様に、夫婦間の完全な忠実を要求し、また夫婦間の一致が不解消であることを求めます」『現代世界憲章』,第48項。。
[1647]
そのもっとも深い理由は、神がご自分の契約に対して忠実であられること、キリストがご自分の教会に対して忠実であられるということにあります。結婚の秘跡によって、夫婦はこの忠実さを映し出し、世に明らかにする資格を与えられます。秘跡によって、結婚の不解消性は新たなより深い意味を受けるのです。
[1648]
自分の一生を一人の人間に結びつけることは難しく、不可能のように思われるかもしれません。それだけに、神は決定的で取り消すことのできない愛でわたしたちを愛しておられ、夫婦は自分たちをはぐくみ支えるこの愛にあずかりながら自分たちの忠実を通して神の忠実な愛の証人となることができる、という福音を告げ知らせることがいっそう重要となります。しばしばきわめて困難な状況のうちにありながらも、神の恵みに助けられてこのあかしを行う夫婦は、教会共同体の感謝と支援とを受けるに値しますヨハネ・パウロ2世『家庭』20(loc. cit, 104)参照。。
[1649]
しかし、種々さまざまな理由で、夫婦の同居が実際に不可能となることがあります。そのような場合には、教会は夫婦の別居を認めます。とはいえ、この夫婦は神の前には依然として夫と妻であり、別の人と結婚する自由はありません。このような困難な状態での最良の解決策は、その可能性があれば、和解することです。キリスト者の共同体はこの夫婦がこのような境遇をキリスト者らしく生き、不解消のままである結婚のきずなを忠実に守るよう助けなければなりません同83(loc. dt., 184)、「新教会法典」第1151-1155条参照。。
[1650]
少なからぬ国々には、民法上の離婚に頼って、民法上の再婚を行うカトリック信者が数多くいます。教会は、イエス・キリストのことば(「妻を離縁して他の女を妻にする者は、妻に対して姦通の罪を犯すことになる。夫を離縁して他の男を夫にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」〈マルコ10∙11-12〉)に忠実に従い、最初の結婚が有効であれば再婚を有効とは認めません。離婚した後に民法上の再婚をした者は、客観的には神法に背く状態にあります。したがって、この状態が続く限り、聖体を拝領することができません。同じ理由から、教会のある種の任務を行うこともできません。ゆるしの秘跡によってゆるしが与えられるのはただ、キリストとの契約と忠実さのしるしである結婚を破ったことを痛悔し、まったくの禁欲生活を送る人々に対してのみです。
[1651]
このような境遇にいながらも、信仰を守り、子供たちをキリスト教的に育てることを望むキリスト者が多くいます。彼らに対して、司祭および信者全共同体は、彼らが自分は教会から離れた者だと思い込むことがないように、温かい配慮を示すべきです。そのような人々も洗礼を受けた者として教会生活にあずかることができるし、またあずからなければならないのです。
「彼らは教会生活にあずかりながら〔神のことばを聞き、ミサ聖祭にあずかり、〕忍耐をもって祈り続け、愛のわざや正義を求める共同体の努力に貢献したり子供をキリスト教の信仰のもとで教育して、回心の心と実践を身につけるよう努めながら、日々神の恵みを求めていくよう励まされてしかるべきなのです」ヨハネ・パウロ2世『家庭』84(loc. cit., 185)。。
[1652]
「婚姻制度そのものと夫婦愛とは、その本来の性質から、子供の出産と教育とに向けて定められているものであって、これらはその栄冠のようなものです」
『現代世界憲章』,第48項。。
「子供は婚姻のもっとも貴重なたまものであり、両親自身の善のためにも大いに寄与します。『人がひとりでいるのはよくない』(創世記2∙18)といわれ、『初めから人間を男と女に造られた』(マタイ19∙4)神自ら創造のわざに人間を参加させようと望み、『産めよ、増えよ』(創世記1∙28)といって、男と女を祝福されました。したがって、婚姻のその他の目的をないがしろにするわけではありませんが、真の夫婦愛の実行と、それに基づく家庭生活の全構造は、夫婦が勇気をもって創造主と救い主⸺すなわち、彼らを通して神の家族をふやし、富ませるかた⸺の愛に協力する心構えを持つようになることに向けられています」『現代世界憲章』,第50項。。
[1653]
夫婦の愛の実りは、両親が教育によって子供たちに伝える倫理的、精神的、超自然的生命の実りにまで及びます。両親は子供の最初の主要な教育者です第2バチカン公会議『キリスト教的教育に関する宣言』,第3項(Gravissimum educationis)参照。。この意味で、結婚と家族との基本的任務はいのちに奉仕することなのですヨハネ・パウロ2世『家庭』28(loc. cit., 114)参照。。
[1654]
ところで、夫婦は神から子供を授からなくとも、人間としてまたキリスト者として、十分に意義ある夫婦生活を送ることができます。このような夫婦の結婚生活は、愛、受容、奉仕の実を結ぶ輝かしいものとなりえます。
[1655]
キリストはヨセフとマリアとによって構成される聖家族の庇護の中で生まれ、育てられることを望まれました。教会は「神の家族」にほかなりません。当初から、教会の中核はしばしば、「一家をあげて」信者となった人々によって構成されていました使徒言行録18・8参照。。彼らは信者になると、「一家こぞって」救われることを望みました使徒言行録16・31,11・14参照。。信者となったこれらの家族が、不信仰者の間でのキリスト教生活の拠点であったのです。
[1656]
しばしば信仰とは無縁で敵意さえ持つ現代社会にあって、信者の家族は生き生きと輝く信仰の家庭としてきわめて重要なものです。このためにこそ、第2バチカン公会議は、昔のことばを用いて、家族を家庭教会と呼んでいます『教会憲章』,第11項、ヨハネ・パウロ2世『家庭』21(loc. cit., 105)参照。。家族の庇護の中で、両親は「ことばと模範をもって子供たちのために信仰の最初の使者となり、子供のおのおのに特有な召命を育て、とりわけ聖職の召命を特別な配慮をもってはぐくむようにしなければなりません」『教会憲章』,第11項。。
[1657]
家庭は、父親、母親、子供、および家族全員が、「諸秘跡の拝受、祈り、感謝、聖なる生活のあかし、自己放棄、行動的な愛をもって」『教会憲章』,第10項。信者の共通祭司職を行使する、最適の場所です。したがって、家庭はキリスト教的生活の最初の学校、「豊かな人間形成の学校」『現代世界憲章』,第52項。なのです。そこでわたしたちは、忍耐力、仕事の喜び、兄弟愛、寛容で幾度も繰り返されるゆるし合い、そしてとくに、祈りや自分のいのちをささげることによる敬神を学びます。
[1658]
このほかに、何らかの事情のために、多くの場合は不本意ながら、独身生活を送ることを余儀なくされた多くの人たちがいます。彼らはとくにイエスが愛しておられる人々であり、それだけに、教会とくに司牧者の温かい配慮を受けるに値する人たちです。彼らの多くは貧困のゆえに普通の家族を持たない人たちです。その中には真福八端の精神に従い、神と隣人とに模範的に仕えながら自分たちの境遇を生きていく人たちもいます。これらのすべての人に、「家族教会」としての家族の扉を、そして大きな家族である教会の扉を開かなければなりません。「世界に家庭のない人はいないはずです。教会はすべての人にとって、とくに『疲れた者、重荷を負う者』(マタイ11∙28)にとって、家庭であり家族です」ヨハネ・パウロ2世『家庭』85(loc. cit., 187)。。
[1659]
聖パウロは、「夫たちよ、キリストが教会を愛〔され〕たように、妻を愛しなさい。……この神秘は偉大です。わたしは、キリストと教会について述べているのです」(エフェソ5∙25,32)といっています。
[1660]
結婚の契約によって一人の男と一人の女とがいのちと愛とによる親密な共同体を形づくりますが、この結婚は創造主によって設立され、独自の法則を与えられています。結婚は本質的に夫婦の善益と子供の出産および教育とに向けられています。受洗者同士の結婚は主キリストによって尊い秘跡にまで高められました『現代世界憲章』,第48項、「新教会法典」第1055条第1項参照。。
[1661]
結婚の秘跡は、キリストと教会との一致のしるしです。この秘跡によって、夫婦に、キリストがご自分の教会を愛されたその愛で互いに愛し合う恵みが与えられます。したがって、結婚の秘跡の恵みは夫婦の人間的愛を完成し、二人の不解消の一致を強め、永遠のいのちに向かう道の途上で夫婦を聖化しますトリエント公会議第24総会『結婚の秘跡について』(DS1799)参照。。
[1662]
結婚は配偶者間の合意、すなわち、忠実で出産に開かれた愛の契約を生き抜くために、相互に決定的に自己を与え合うという意志の上に成り立ちます。
[1663]
結婚によって夫婦は教会の中での公の生活身分を持つことになるので、結婚式は、司祭(または教会の有資格の証人)と複数の証人、および信者会衆の前で、典礼儀式に従って公に行われます。
[1664]
単一性、不解消性、出産に開かれた心というものは、結婚の本質に属することです。一夫多妻は単一性とは相いれません。離婚は神が合わされたものを離すことです。出産の拒否は、結婚の「もっとも貴重なたまもの」である子供の出産に向けられた夫婦生活をゆがめるものです『現代世界憲章』,第50項参照。。
[1665]
離婚者が配偶者の存命中に再婚することは、キリストが教えられた神の計画とおきてとに背きます。このように再婚した者は教会から離れたわけではありませんが、聖体拝領はできません。彼らは子供たちの信仰を育てることによってキリスト者としての生活を送ります。
[1666]
キリスト教的家庭は、子供たちが信仰の最初の告知を受ける場です。それゆえに、家族的な家庭はまさしく「家庭教会」と呼ばれます。それは、恵みと祈りとの共同体、人間的諸徳とキリスト教的愛とを教える学校です。