[168]
まず教会が信じて、わたしの信仰を支え、養い、助けます。至るところで主を公言するのは、まず教会です(わたしたちは「テ・デウム」の中で、「世界に広がる聖なる教会はあなたをたたえます」と歌います)。そして、わたしたちもまた、教会とともに、教会に結ばれて、やむにやまれず「わたしは信じます」、「わたしたちは信じます」と公言するのです。わたしたちが信仰およびキリストのうちにある新しいいのちを洗礼によって授かるのは、教会を通してです。「ローマ儀式書」では、洗礼の司式者は「あなたは神の教会に何を求めますか」と尋ね、洗礼志願者はまず「信仰を求めます」と答えることになっています。そしてさらに「信仰によって何が与えられますか」、「永遠のいのちが与えられます」との問答が続きます『成人のキリスト教入信式(親範版)』75,247(Ordo initiationis chnstianae adultorum, editio typica [Typis Poly glottis Vaticanis 1972] 24. 91)。。
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救いは、ただ神のみから来ます。しかし、わたしたちは教会を通して信仰のいのちをいただくわけですから、教会はわたしたちの母です。「わたしたちは教会を、わたしたちの新しいいのちの母であると信じているのであって、わたしたちの救いの創始者として信じているのではありません」リエのファウスト『聖霊論』 (Faustus Reiensis, De Spiritu Sancto 1, 2 : CSEL 21, 104 [1, 1:PL62, 11])。。教会は、わたしたちの母ですから、またわたしたちの信仰の養育者でもあります。