[1763]
「情熱」ということばは、キリスト教の伝統的な用語の一つです。感情や情熱は感性の動きを表します。それはまた、よいか悪いかということを感じたり想像したりすることを通して、何かを行おう、あるいは行わないようにしようといった気持ちにさせる心の動きを表すものでもあります。
[1764]
情熱は人間心理の自然の構成要素であり、つなぎとなって、感覚的生活と精神生活とを結びつけるものです。キリストは、人間の心を情熱の動きが生じる源泉とみなしておられます43。
[1765]
情熱には多くのものがあります。もっとも基本的な情熱は、よいものに引かれて生じる愛情です。愛情は欠けているよいものへの渇望と、それを得る希望とを起こさせます。この動きは、よいものを得た快さと喜びの中で完結されます。悪いものだと感じ取ると、憎しみや嫌悪、また将来悪いことが起こるのではないかという恐れなどを生じさせます。この動きは、現在起こっている悪いことに対する悲しみやそれに反発する怒りの中で完結されることになります。
[1766]
「愛するとは、その人に善を望むことです」44。他のすべての感情は、善に向けられた人間の心のこの根本的な動きを出発点にしています。善だけが愛すべきものです45。「だから、悪い愛であれば、それは悪いものであり、よい愛であれば、それはよいものです」46。