[1814]
信仰は対神徳です。この信仰の徳によってわたしたちは、神と、神がわたしたちに語られ啓示されたこと、また教会が信じなければならないこととして教えるすべてのことを信じます。神は真理そのものだからです。信仰によって、「人間は、自由に自分自身をまったく神にゆだねるのです」67。それゆえ、信者は神のみ旨を知り、行うように努めます。「正しい者は信仰によって生きる」(ローマ1∙17)のであり、生きた信仰は「愛の実践を伴う」(ガラテヤ5∙6)のです。
[1815]
信仰というたまものは、信仰に反する罪を犯さなかった人のうちにとどまります68。しかし、「行いを伴わない信仰は死んだもの」(ヤコブ2∙26)であり、希望と愛とを伴わない信仰は、信者を完全にキリストに一致させることも、キリストのからだの生きた一部とすることもありません。
[1816]
キリストの弟子は単に信仰を守り実践するだけではなく、これを公言し、確信をもってあかしし、広めるべきです。「すべての人はキリストを人々の前で宣言し、教会に決して欠けることのない迫害の中にあって、十字架の道をたどりつつキリストに従う覚悟を決めておかなければなりません」69。信仰を守りあかしすることは、救いに必要です。「だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であるといい表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であるといい表す。しかし、人々の前でわたしを知らないという者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないという」(マタイ10∙32-33)。