結果 1987-1995
「わたしたちは、キリストとともに死んだのなら、キリストとともに生きることにもなると信じます。そして、死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬことがない、と知っています。死は、もはやキリストを支配しません。キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい」(ローマ6∙8-11)。
「わたしたちは霊によって神にあずかる者となります。霊にあずかることによって、神の本性にあずかるのです。……したがって、霊が住まわれる人々は神化されます」44。
「ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによるあがないのわざを通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。このように神は忍耐してこられたが、今このときに義を示されたのは、ご自分が正しいかたであることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです」(ローマ3∙21-26)。
「神が聖霊の照明をもって人の心に触れるときに、人はまったく何事もしないのではありません。それを拒むこともできるのに、その霊感を受け入れるのです。しかしながら、神の恩恵なしに自分の自由意志だけでは、神の義に自分を向けることはできないのです」47。
「かつて自分の五体を汚れと不法の奴隷として、不法の中に生きていたように、今これを義の奴隷としてささげて、聖なる生活を送りなさい。……今は罪から解放されて神の奴隷となり、聖なる生活の実を結んでいます。行き着くところは、永遠のいのちです」(ローマ6∙19,22)。