結果 1996-2005
「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちをご自分と和解させ〔られ〕ました」(二コリント5∙17-18)。
「いうまでもなく、わたしたちも働きます。しかし、わたしたちは働いておられる神に協力しているにすぎません。わたしたちが働き始める前に神のあわれみがわたしたちに向けられているからです。実際、まず神のあわれみによってわたしたちがいやされれば、いやされたわたしたちは活気づけられるからです。まず神のあわれみによって呼びかけられれば、わたしたちは栄光を受けることができるようになります。まず神のあわれみによって敬謙に生きることができるようになれば、わたしたちはいつも神とともに生きることができるようになります。神なしに、わたしたちは何事もできないからです」聖アウグスティヌス『自然と恩恵』 (S. Augustinus, De natura et gratia, 31, 35 : CSEL 49, 258-259 [PL 44, 264])。。
「あなたが最良のみわざを終えて七日目にお休みになられたのは、わたしたちもまた、あなたがわたしたちにお与えくださったので最良のものとなったわたしたちのわざを終えた永遠のいのちの安息日にはあなたのうちで休むことになると、あなたの書の声を通して前もって仰せになるためでした」聖アウグスティヌス『告白録』(Confessiones, 13, 36, 51: CCL 27, 272 [PL32, 868])。。
「わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なったたまものを持っていますから、預言のたまものを受けていれば、信仰に応じて預言し、奉仕のたまものを受けていれば、奉仕に専念しなさい。また、教える人は教えに、勧める人は勧めに精を出しなさい。施しをする人は惜しまず施し、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は快く行いなさい」(ローマ12∙6-8)。
このような態度についての優れた一例を、教会裁判官たちの狡猾な質問に対する聖ジャンヌ・ダルクの回答に見ることができます。「自分が神の恵みのうちにいるかどうかを知っているか、と尋問された彼女は、『もし、わたしが恵みのうちにいないなら、神様がわたしを恵みのうちに置いてくださるようにお願いします。もし恵みのうちにいるなら、神様がわたしをその状態に守ってくださるようにお願いします』と答えました」『聖ジャンヌ・ダルクの弾劾裁判記録』(S. Jeanne d'Arc, Dictum : Proces de condamnation, ed. P. Tisset [Paris 1960] 62)。。