[2087]
倫理生活の源泉は、わたしたちにご自分の愛を啓示された神への信仰そのものの中にあります。聖パウロは、第一の義務は信仰による従順6だと語っています。また彼は、すべての倫理的逸脱の原因は「神についての無知」ということで説明できるだろうと推論しています7。神に対するわたしたちの義務は、神を信じ神をあかしすることなのです。
[2088]
第一のおきてはわたしたちに、賢明に警戒して信仰を養い守り、信仰に反するあらゆることがらを退けることを要求します。信仰に反する罪にはさまざまな形があります。
信仰に対する故意の疑いとは、神が啓示され教会が信じるようにと教えることがらを正しいことだと認めることをなおざりにしたり、拒否したりすることです。故意ではない疑いとは、信じるのをためらったり、信仰に対する反論に打ちかつ困難を感じたり、信仰の内容が不明瞭であるために不安を覚えたりすることです。知りながら疑いを深めれば、精神的な盲目へと陥っていく危険があります。
[2089]
不信仰とは、啓示された信仰を軽んじること、あるいは、それに同意するのを故意に拒絶することです。教会法典では、次のような区別がなされています。「受洗後、神的かつカトリックの信仰をもって信ずべきある真理を執拗に否定するか、またはその真理について執拗な疑いを抱くことを異端という。キリスト教信仰を全面的に放棄することを背教という。ローマ教皇への服従を拒否し、または教皇に服属する教会の成員との交わりを拒否することを離教という」8。