[2099]
礼拝、感謝、嘆願、交わりのしるしとして、神にいけにえをささげるのは正しいことです。「わたしたちが聖なる交わりをもって、神と固く結ばれるためになすあらゆる行いこそ、真のいけにえです。すなわちそれらの行いは、わたしたちを真に幸福にしうる、あの究極の善とつながっているのです」聖アウグスティヌス『神の国』 (S. Augustinus, De civitate Dei, 10, 6 : CSEL 407 1, 454-455 [PL 41, 283])。。
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真のいけにえとなるためには、外的いけにえは霊的いけにえの表れでなければなりません。「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊」(詩編51∙19)とあるとおりです。旧約の預言者たちは心を伴わないいけにえやアモス5・21-25参照。、隣人への愛を伴わないいけにえを何度も非難しましたイザヤ1・10-20参照。。イエスは預言者ホセアの「わたしが求めるのはあわれみであって、いけにえではない」(マタイ9∙13、12∙7)ということばに言及しておられますホセア6・6参照。。唯一の完全ないけにえは、御父への愛のため、またわたしたちの救いのために、イエスが十字架上で余すところなくご自分をささげられたあのいけにえですヘブライ9・13-14参照。。わたしたちはキリストのいけにえと結ばれることによって、自分たちのいのちを神へのいけにえとすることができるのです。