[2104]
「すべての人間は、真理、とりわけ、神とその教会に関することがらについてのそれを探究し、知った上は、それを受け入れ、そして守る義務」第2バチカン公会議『信教の自由に関する宣言』,第1項(Dignitatis humanae)。を持っています。この義務は、人間の本性そのものに由来するものです『信教の自由に関する宣言』,第2項参照。。それにもかかわらず、キリスト者は、「すべての人を照らす真理のある光線を示す」第2バチカン公会議『キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言』,第2項(Nostra aetate).他の諸宗教に対してまじめな尊敬の念を払い、また、愛のために、「信仰について誤謬あるいは無知の状態にある人たちに対して、やさしく、賢明に、忍耐をもって応待するよう」『信教の自由に関する宣言』,第14項。求められるのです。
[2105]
人間は個人としても社会人としても、神に真正な崇敬をささげる義務があります。これは、「真の宗教とキリストの唯一の教会とに対する個人および団体の道徳的義務に関する伝統的なカトリックの教義」『信教の自由に関する宣言』,第1項。です。たえず人々を福音化しながら、教会は「ある人が生活している共同体の精神、風習、法律、組織をキリスト教的な精神で満たす」第2バチカン公会議『信徒使徒職に関する教令』,第13項 (Apostolicam actuositatem) 。よう働いています。キリスト者の社会的義務は、一人ひとりのうちにある真と善を愛する心を見守りながら、それを活気づけることです。キリスト者には、普遍的・使徒的教会に存続する唯一の真の宗教の礼拝について他の人々に知らせることが求められます『信教の自由に関する宣言』,第1項参照。。キリスト者は世の光となるよう召されています『信徒使徒職に関する教令』,第13項参照。。こうして教会は、すべての被造物、とりわけ人間社会に対するキリストの王権を示すのですレオ13世回勅『インモルターレ・デイ』(Immortale Dei : Leonis XIII Acta 5,118-150)、ピウス11世回勅『クアス・プリマス』 (Quas primas: AAS 17 [1925] 593-610)参照。。
[2106]
「何人も、自分の良心に反して行動するよう強制されることなく、また私的あるいは公的に、単独にあるいは団体の一員として、正しい範囲内で自分の良心にしたがって行動するのを妨げられることはありません」『信教の自由に関する宣言』,第2項。第2バチカン公会議『現代世界憲章』,第26項(Gaudium et spes)参照。。この権利は、人間の本性そのものに基づくものです。この世を超越する神の真理を自由に奉じることは、人格の尊厳に属することなのです。したがってこの権利は、「真理を求め、これを受け入れる義務を果たさない人にもなくなるものではありません」『信教の自由に関する宣言』,第2項。。
[2107]
「国民の特殊な事情を考慮して、国の法的制度において、特定の宗教団体に特別の地位が認められることがあるとしても、信教の自由の権利は、すべての市民と宗教団体とに認められ、かつ尊重されなければなりません」『信教の自由に関する宣言』,第6項。。
[2108]
信教の自由の権利は、誤謬を奉じてよいとする道徳的許可でもレオ13世回勅『リベルタス・プレスタンティッシムム』 (Libertas praestantissimum : Leonis XIII Acta 8, 229-230)参照。、誤謬を選ぶ権利でもありませんピウス12世「第5回イタリア・カトリック法学者全国大会の参加者へのあいさつ」(1953年12月6日)1 (AAS 45 [1953] 799)参照。。それは国民的自由に関する人間の自然権です。すなわち、宗教的なことがらに関して、正当な範囲内では政治権力などからの外的な強制を受けることはないという特権です。この自然権が公民権として社会の法的制度で認められなければなりません『信教の自由に関する宣言』,第2項参照。。
[2109]
信教の自由の権利には、その本性上限界がありえますピオ6世小勅書『クオド・アリクアントゥム(1791年3月10日)』(Quod aliquantum : Collectio Brevium atque ln structionum SS. D. N. Pit Papae VI, quae ad praesentes Ecclesiae Cathohcae in Gallia calamitates pertinent [Romae 1800〕54-55)参照。。しかもその限界は、「実証主義的」あるいは「自然主義的」に考えられた公序だけで定められるものではありませんピウス9世回勅『クアンタ・クーラ』(Quanta cura : DS2890)参照。。信教の自由の権利に内在する「正当な限界」は、それぞれの社会状況に合わせ、共通善の要求に基づいた政治的賢明さをもって定められ、「客観的な道徳秩序に一致した法規に従って」『信教の自由に関する宣言』,第7項.公権によって批准されなければなりません。