[2118]
神の第一のおきてに反するおもな罪は、神への不敬に関するものです。それは、ことばや行為によって神を試みること、瀆聖、および聖物売買です。
[2119]
神を試みる行為とは、ことばあるいは行いによって神がいつくしみ深く全能なかたであるかどうかを試すことです。たとえば、サタンはイエスを神殿から飛び降りさせて、神に助けさせようとしました46。イエスは、「あなたたちの神、主を試してはならない」(申命記6∙16)という神のことばを用いて、サタンに対抗されます。このような試みには神への挑戦が込められていますが、それは、創造主である主に対してわたしたちが払うべき崇敬と信頼とに背くものです。そこにはつねに、神の愛と、その摂理、およびその権能に対する疑惑が込められているのです47。
[2120]
瀆聖とは、秘跡やその他の典礼、神に奉献された人・物・場所などを汚したり、不当に取り扱ったりすることです。聖体に対してなされる瀆聖は特別な大罪となります。この秘跡には、ほかならぬキリストの御からだがわたしたちのために実体的に現存しているからです48。
[2121]
聖物売買49とは、霊的なものを売買することです。魔術師シモンは使徒たちのわざに見られる霊的力を買おうとしました。ペトロはそのとき、「この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。神のたまものを金で手に入れられると思っているからだ」(使徒言行録8∙20)と答えます。ペトロは「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」(マタイ10∙8)というイエスのことばに従ったのです50。霊的善を占有し、その所有者または主人としてふるまうことはできません。霊的善の源泉は神だからです。神から無償でいただくことができるだけなのです。
[2122]
「奉仕者は、権限ある権威者によって定められた奉納金のほかには、秘跡の授与のために何も請求してはならない。かつ、貧しい人たちが、貧しさのために秘跡の助けを奪われることのないようにつねに注意しなければならない」51と教会法は述べています。権限ある教会権威者が「奉納金」を定めるのは、キリストを信じる民は教会の奉仕者の生活を助けなければならない、という原則によるものです。それは、「働く者が食べ物を受けるのは当然である」(マタイ10∙10)というイエスのことばに従うものでもあります52。