[2123]
「現代人の多くは神とのこのような生命的な深い結びつきをまったく理解しないか、あるいは明らかに排除します。したがって無神論は現代のもっとも重大な課題の一つに数えるべきものです」53。
[2124]
無神論はきわめて多様な形をとります。通常見られるのは実践唯物論的な形態で、現世的なことがらだけを追求するものです。無神論的ヒューマニズムは、人間は「自己目的で、歴史の唯一の製作者、創作者」54のようなものであるという誤った考えを持っています。現在見られるもう一種の無神論は、人間の解放を経済的・社会的解放に期待し、「宗教は死後の偽りの生命への希望を抱かせることによって、人間を地上の国の建設からわき道にそらせるものなので、本質的に人間解放を妨げるものである」55と考えています。
[2125]
無神論は神の存在を認めなかったり拒否したりするものなので、敬神徳に反する罪になります56。ただし、この罪の責任は、意向や状況などによってかなり軽くなることがありえます。無神論の発生と普及には、「信仰者が小さくない役割を演じていることもありえます。すなわち、信仰者が信仰についての教養を怠り、教理を間違って解説し、なお宗教的、道徳的、社会的生活において欠けるようなことがあるときには、神と宗教の真の姿を示すよりは、かえって隠すのです」57。
[2126]
無神論の中にはしばしば、神に対するあらゆる依存を拒否させるほどの、人間の自律性に関する間違った考えに基づいたものが見受けられます58。しかし、神を認めることは、決して人間の尊厳に反するものではありません。「人間の尊厳は神自身の中に基礎を持ち、また神において完成されるものだからです」59。教会は、「教会のメッセージが人間の心の奥底にある望みと合致していることを」60よく知っています。