結果 2142-2149
「畏敬の念や聖なる感情などはキリスト教的なものなのでしょうか。それは疑う余地がありません。もし、わたしたちが至高の神を見ることができるならば、その思いはきわめて強いものになるでしょう。神の現存を『実感』するならばこの思いを抱くでしょう。わたしたちは、神が現存しておられることを信じる度合いに応じて、その思いを強くするはずです。その思いを抱かないということは、神が現存しておられることを悟らず、信じていないことなのです」70。
「神のみ名は、その偉大さと威厳とにふさわしい尊敬をもって口にされるとき、偉大なものとなります。またそのみ名は、崇敬とみ名を傷つけることをおそれる心とをもって口にされるとき、聖なるものとなります」74。