[218]
イスラエルの民は歴史の中で、神が自分たちに自らを啓示し、すべての民の間から自分たちをご自分の民として選ばれた理由は、無償の愛以外には何もなかったということを悟ることができました19。また、神が自分たちを救い、不忠実と罪をゆるし続けてくださったのも、愛によってであることを、預言者たちのおかげで悟ることができました20。
[219]
イスラエルの民に対する神の愛は、子に対する父の愛にたとえられています21。この愛は、幼子に向けられる母親の愛よりも強いものです22。神は、花婿が花嫁を愛するよりも深くその民を愛されます23。この愛は、もっともひどい不忠実に対しても揺らぐことがありません24。そしてついには、このうえなく貴重なたまものをお与えになります。「神は、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネ3∙16)。
[220]
神の愛は「永遠」(イザヤ54∙8 参照)です。「山が移り、丘が揺らぐこともあろう。しかし、わたしのいつくしみはあなたから移らない」(イザヤ54∙10)。「わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し、変わることなくいつくしみを注ぐ」(エレミヤ31∙3)。
[221]
聖ヨハネはさらに推し進めて、「神は愛です」(一ヨハネ4∙8,16)といっています。神の存在そのものが愛なのです。時が満ちて御ひとり子と愛の霊を遣わすことによって、神はご自分のもっとも隠れた内奥を示されます25。神は永遠に父と子と聖霊の愛の交わりでありますが、その交わりにわたしたちをもあずからせようと、お決めになったのです。