[2465]
旧約聖書は、神はすべての真理の本源であると証言しています。神のことばは真理であり215、その律法も真理です216。「あなたへの信仰は代々に続きます」(詩編119∙90)217という信仰告白もなされています。神は「真実なかた」(ローマ3∙4)であられるので、神の民に属する者は真理のうちに生きるために召されているのです218。
[2466]
神の真理は、イエス・キリストのうちに余すところなく表されました。恵みと真理とに満ちておられる219イエス・キリストは、「世の光」(ヨハネ8∙12)であり、真理です220。キリストを信じる者は、だれも暗やみの中にとどまることはありません221。イエスの弟子はそのことばにとどまり、自由にする真理を知るようになり222、その真理によって聖なる者とされます223。イエスに従うこと、それは、イエスの名によって御父から遣わされ224、弟子たちを導いて「真理をことごとく悟らせる」(ヨハネ16∙13)真理の霊に生かされること225です。イエスは真理を無条件に愛することを弟子たちに教えるために、「あなたがたは、『しかり、しかり』、『否、否』といいなさい」(マタイ5∙37)と諭しておられます。
[2467]
人間は本来、真理に向かって歩むように造られています。真理を敬い、あかしする義務があります。「すべての人間は、人格を備え、……自分の尊厳さのゆえに、本性的な真理、なかでも、宗教的真理を探究する衝動に駆られ、また道徳的に義務を負わされています。そして、いったん真理をとらえた上は、これを認め、真理の要求に従って自分の全生活を規正する必要があります」226。
[2468]
人間の行いやことばの正しさという意味での真理は、真実、誠実、あるいは正直ということばでいい表されています。真理あるいは真実とは、行動するときには真理を表し、語るときには真実を口にし、陰ひなたや、見せかけ、偽善などを行わない強さのことです。
[2469]
「人間は相互信頼なしには、つまり、互いに真実を示し合わなければ、ともに生活することはできません」227。真理に対する勇気を持っている人は、他の人のものであるはずのものを当然のこととしてその人に返します。真実とは、表すべきことと守るべき秘密との間の公正な中庸を堅持し、礼儀正しさと慎重さを伴うものです。正義という観点から、「一人ひとりの人間には、礼儀上他人に対して真実を示す義務があります」228。
[2470]
キリストの弟子は、「真理のうちに生きること」を受け入れます。すなわち、キリストに倣って飾り気のない生活を送り、キリストの真理にとどまります。「わたしたちが、神との交わりを持っているといいながら、やみの中を歩むなら、それはうそをついているのであり、真理を行ってはいません」(一ヨハネ1∙6)。