[249]
聖三位一体という啓示された真理は、教会の当初から、主として洗礼を授けることを通して、いつも教会の生きた信仰の根底に置かれてきました。この真理は、洗礼式の信仰宣言では一定の形式をもって表現されていた、ということが分かります。教会の宣教、カテケージス、祈りの中に定式化された定句は、すでに使徒たちの書に見られ、感謝の祭儀の中で踏襲されている次のあいさつからも明らかです。「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同とともにあるように」(二コリント13∙13)1コリント12・4-6、エフェソ4・4-6参照。。
[250]
最初の数世紀に、教会は三位一体の信仰をより明示的に表明することに努めました。この信仰について自らの理解を深めると同時に、それをゆがめていた誤謬に反駁するためです。これは、教父たちの神学的研究に助けられ、キリストの民の信仰心によって支えられた、古代の諸公会議の仕事でした。
[251]
教会は三位一体の教理の形成のため、「実体」、「ペルソナ」または「ヒュポスタシス」、「関係」などの哲学に由来する概念を借りて、固有の用語を展開していかなければなりませんでした。そうしながら、教会は信仰を人間の知恵に従わせたわけではなく、これらの語にまったく新しい意味を与え、以後は、「人間の尺度で測り得るすべてのものを無限に超える」パウルス6世『神の民のクレド』,第9項(Sollemnis Professio fidei : AAS 60 [1968] 437)。神秘を意味するようにしたのです。
[252]
教会は「実体」(たびたび「本質」あるいは「本性」と置き換えられる)という語を用いて、神の一体性を示し、「ペルソナ」または「ヒュポスタシス」の語を用いて互いに実際に区別される父と子と聖霊を示し、「関係」の語を用いて、それぞれの区別は相互の関係によることを示します。