[2562]
人間の祈りはどこから出てくるのでしょうか。祈りの表現(動作やことば)がどのようなものであろうと、祈っているのはその人そのものです。しかし聖書は、祈りがほとばしり出る場として、魂や精神、そしてもっとも頻繁に(千回以上)心を挙げています。祈るのは心です。心が神から離れているならば、祈りのことばはむなしいものです。
[2563]
心とは、わたしが常駐するところ、わたしが住まう住宅(聖書のヘブライ語的な表現に従えば、「わたしが戻ってくる」ところ)です。それは、自分の理性にも他人の理性にも把握しがたい、わたしたちの秘められた中心です。ただ神の霊だけが、それを探り知ることがおできになります。心は、わたしたちの心理的な傾向よりももっと深いところにある決断の場、生か死かを決めるぎりぎりの場なのです。神の似姿である人間が神と真正面から見つめ合う場、つまり、契約を交わす場です。
[2564]
キリスト教的祈りとは、神と人間とがキリストにおいて契約を結ぶことです。それは、聖霊とわたしたちから出て、人となられた神の御子の人間としての意志に結ばれ、そっくりそのまま御父へと向けられる、神と人間との行為です。