[2570]
アブラハムは神に呼ばれるとすぐ、「主のことばに従って」(創世記12∙4)旅立ちます。彼はまったく「神のことばに服従する」心を持っており、それに従います。神の望みに従うために心の耳を澄まして聞き入ることが祈りの本質であり、そこにはことばがかかわっているものです。しかし、アブラハムの祈りはまず行為となって示されます。沈黙の人であるアブラハムは、行程ごとに一つの祭壇を主のために築きます。ことばによる祈りが出てくるのは、後になってからのことです。実現しそうにもない約束を神に思い出させるひそかな嘆きという形の祈りです10。このように、祈りには初めから、神の忠実さに対する信仰が試されるという、ある種の劇的な性質が表れているのです。
[2571]
神を信じ11、その前を歩み、神との契約を結んでいた12太祖アブラハムには、不思議な客を喜んで自分の天幕に迎えるための心の準備ができていました。それは、約束された真の御子の来臨を告げる前ぶれである、マムレでの不思議な歓待の出来事のことです13。このときから、神はアブラハムにご自分の計画を打ち明けられ、彼の心は人々に対する主のあわれみに共感して、大胆な信頼を抱いて人々のために喜んで執り成しをするようになります14。
[2572]
「約束を受けていた者」(ヘブライ11∙17)であるアブラハムが神から与えられたわが子をいけにえとしてささげるように求められたとき、彼の信仰は最高度に純化されます。アブラハムの信仰は揺るぎません。「焼き尽くすささげものの小羊はきっと神が備えてくださる」(創世記22∙8)といいます。「神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じた」(ヘブライ11∙19)からです。こうして、信仰者の父アブラハムは、万人のために御子をさえ惜しまず死に渡された御父に似た者となるまでに強められました15。祈りは人間を再び神に似る者にし、多くの人を救う神の愛の力にあずからせてくれます16。
[2573]
神はイスラエルの十二部族の先祖ヤコブに対して、約束を更新なさいます17。ヤコブは兄のエサウと対面する前に、不思議な「何者か」と一晩中格闘します。その者は自分の名を明かすことを拒みますが、夜が明けて別れる前にヤコブを祝福します。教会の霊性伝承によると、この物語は信仰の戦いである祈り、また堅忍の勝利である祈りを象徴するものです18。