[2581]
神殿は、神の民が祈りを学ぶ場となるはずでした。巡礼、祝祭、犠牲、夕べのささげもの、献香、「供え物の」パンなどの、非常に高くて非常に近いところにおいでになる神の聖性と栄光とを表すこれらのすべてのしるしは、祈りへの招きであり、また祈りの道でした。しかし、儀式の形式のみを重視することによって、民の心はしばしばあまりにも外面的な礼拝のみに向けられることがありました。そこで、信仰教育や回心が必要でした。これがバビロン捕囚以前にも以後にも預言者たちに課せられた使命だったのです。
[2582]
エリヤは、預言者たちをはじめ、いつの時代にあっても主を求める人、み顔を尋ね求める人たち27の父です。「主こそわたしの神」という意味のエリヤの名は、カルメル山上での彼の祈りにこたえる民の叫びそのものを表しています28。ヤコブはわたしたちを祈りに促すために、「正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします」(ヤコブ5∙16)といいながら、エリヤを引き合いに出しています29。
[2583]
ケリトの川のほとりに引きこもって主のあわれみを知ったエリヤは、サレプタの寡婦に神のことばに信頼するようにと教え、彼女の信仰を自分の熱心な祈りによって固めます。神がエリヤの祈りにこたえて、寡婦の息子を生き返らせてくださったからです30。
神の民の信仰に対する決定的な試練であったカルメル山上での犠牲の際には、夕べの「ささげものをささげる時刻に」、エリヤの懇願にこたえて主の火がいけにえを焼き尽くします。「わたしに答えてください。主よ、わたしに答えてください」というエリヤの祈りとまったく同じことばが、現在でも東方典礼の感謝の祭儀のエピクレシスで用いられています31。
その後エリヤは、生きておられる真の神がその民にご自分を啓示された場所に向かって荒れ野の道をたどり、モーセと同じように「洞穴に」うずくまり、神秘的現存の神が「通り過ぎて行く」までとどまります32。しかし、モーセやエリヤがみ顔を尋ね求めていたかたがお姿を現されるのは、ただキリストの変容の山においてであり33、神の栄光を見ることができるのは、十字架につけられ、復活なさったキリストのみ顔においてなのです34。
[2584]
預言者たちは「一対一で神と対面」し、自分たちの使命を果たす光と力とをくみ取ります。預言者たちの祈りというのは、不忠実な世からの逃避ではなく、神のことばに耳を傾けることです。時として抗議あるいは嘆きなどという形になることがあったとしても、それはつねに、救い主であり歴史の主である神の介入を期待し、準備する執り成しなのです35。