[2653]
教会は、「すべてのキリスト信者……がしばしば聖書をひもといて、『キリスト・イエスを知ることのすばらしさ』(フィリピ3∙8)を学ぶよう、特別にまた強く勧めます。……しかし、聖書を読むにあたっては、神と人間との会話ができるよう、それに祈りを加えることを忘れてはなりません。実際、『わたしたちは祈る場合は、神に話しかけ、神のことばを読む場合は、神の話を聞く』のです」『神の啓示に関する教義憲章』,第25項。聖アンブロジウス『教役者の職務について』 (S. Ambrosius, De officiis ministrorum. 1, : ed. N. Testard [paris 1984] 138 [PL 16, 50])参照。。
[2654]
霊性に造詣が深い教父たちはマタイ7章の7節を注解して、祈りの中で神のことばに養われる心のあり方を次のように要約しています。「読みながら求めなさい。そうすれば黙想しながら見いだすでしょう。祈りながら門をたたきなさい。そうすれば観想によって門があなたに開かれるでしょう」シャルトルーズのグイゴ2世『修道のはしご』 (Guigo II Cartusiensis, Scala claustralium, 2, 2: PL 184, 476)。しかし,これらの言葉はSC163,84の批判版の本文には見られない。そこで示された批判を参照。。