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もっともありふれた、しかももっとも気づきにくい誘惑というのは、わたしたちの信仰の欠如です。それは信仰心がないということのはっきりした証明というよりも、現実に何を優先させるかの問題です。いったん祈り始めると、急務と思える山のような仕事や気がかりなどが、祈りより大切なものであるかのように頭に浮かんできます。これもやはり、自分が何を大事に思っているのかという、本音を確かめるときです。あるときは最後の神頼みとして主に向かいますが、それは果たして本当に信じているからなのでしょうか。あるときは主を味方にしますが、心はまだ思い上がっています。とにかく信仰が欠如していれば、わたしたちがまだ謙虚な心を備えていないということが明らかになります。キリストは、「わたしを離れては、あなたがたは何もできない」(ヨハネ15∙5)といっておられます。