結果 2777-2802
「奴隷の状態にあることを意識しているわたしたちは、もし、御父ご自身の権威と御子の霊とによって、神を父とお呼びするようにと促されなかったなら、自分をちりに過ぎない地上の人間と考えるはずです。しかし聖パウロは、神は、アッバ、父よ、と叫ぶ御子の霊を送ってくださったといっています(ローマ8∙15)。……弱い人間は至高者の力によって生かされない限り、どうして神を父と呼ぶことができるでしょうか」n21。
「父である神という呼び名は、かつてだれにも知らされませんでした。モーセが神の名を尋ねたとき、耳にしたのは別の名でした。御子においてはじめてこの名はわたしたちに明かされました。御子というかたがいなければ、御父という名も存在しないからです」n23。
「わたしたちを養子とするようあらかじめ定めておられた神は、キリストの栄光のからだと一体にしてくださいました。ですから、皆さんはキリストにあずかる者として、当然『キリスト』と呼ばれるのです」n27。
「再び生まれ、自分の神のもとにその恵みによって取り戻された新しい人は、まず父よといいます。すでに神の子となりはじめたからです」n28。
「ああ、人よ、あなたはあえて顔を天に向けることができず、地面に伏せていたのに、突然、キリストの恵みを受け、あなたのあらゆる罪はゆるされました。悪いしもべから善良な子供となったのです。……だから、水の洗いを通してあなたを生み、御子を通してあなたをあがなわれた御父に目を上げ、『わたしたちの父よ』といいなさい。……しかし、何の特権も求めてはなりません。神は御子だけをお生みになり、わたしたちは無から造られたものなので、神はキリストお一人だけの本性上の御父であり、わたしたちにとっては共同の御父なのですから。そこで、神の子にふさわしい者となるために、あなたも恵みによって、『わたしたちの父』といいなさい」n30。
「わたしたちが神を父とお呼びするときには、神の子にふさわしい生き方をしなければなりません」n31。
「残酷で、思いやりのない心を持つ者は、いつくしみそのものである神を父と呼ぶことはできません。自分のうちに天の御父のいつくしみのしるしを持っていないからです」n32。
「たえず御父の美を観想し、その美がわたしたちの霊魂にしみわたっていくように努めなさい」n33。
それは、「神のみを観想し、愛の炎に包まれた状態です。そのとき、精神は神への愛のうちに身を没し、この上なく敬謙な愛情を込めて、自分自身の御父と語るように、きわめて親密に神と語り合います」n34。
「わたしたちの父という呼び名は、わたしたちのうちに深い愛情をわき上がらせてくれます。子供たちにとっては父親よりも親しいものはないからです。……また、求めるものは得られるという希望も起こさせてくれます。……神は、すでにご自分の子としてしまった子供たちの祈りをどうして拒絶できるでしょうか」n35。
「天におられるわたしたちの父ということばを、正しい人々の心の中におられる御父と解釈することもできます。神はその人々の心に、神殿であるかのように住まわれるからです。また同時に、祈る者は呼び求めているかたに自分のうちに住んでいただきたいと思わなければならない、という意味にもなります」n44。
「天ということばはまた、神の似姿が刻み込まれている人間のことだと解釈することもできます。神はその人々のうちに住み、そぞろ歩きをしておられるのです」n45。
キリスト者は「肉体を持ってはいますが、肉に従って生きてはいません。地上で暮らしてはいますが、国籍は天にあります」n53。