本質的に神のものであるこのゆるしには、限界も度合いもありませんn129。「加害」(ルカ11章4節では「罪」、マタイ6章12節では「負い目」となっています)という点では、わたしたちは皆つねに負い目を持つ者なのです。「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません」(ローマ13∙8)。聖三位の交わりが、あらゆる関係の正しさの源であり、基準ですn130。それは祈りの中で、とくにエウカリスチアの中ではっきりと表されますn131。
「神は不和な者のささげものを受け入れられず、まず祭壇から退いて兄弟と仲直りをすることを命じられています。それは、平和な心でささげられた祈りによって神をなだめることができるようにするためです。神にもっともよみされるささげものは、わたしたちの平和であり、兄弟としての同心一致であり、父と子と聖霊の一致に基づいて一つに集められた民なのです」n132。