[355]
「神はご自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された」(創世記1∙27)。人間は被造物の中で比類のない地位を占めています。というのは、(1)「神にかたどって」造られ、(2)その独自の本性の中に、霊的世界と物質的世界とが一つになっており、(3)「男と女」に造られ、(4)神との親しい交わりにあずかれるようにしていただいているからです。
[356]
見えるすべての被造物の間で、ただ人間だけが「創造主である神を知り愛することができます」
『現代世界憲章』,第12項。。人間は、「神が⸺そのもの自体のために望んだ⸺地上における唯一の被造物です」
『現代世界憲章』,第24項。。人間だけが知と愛によって神のいのちにあずかるよう招かれています。人間はこの目的のために造られましたが、まさに、そこにこそ、人間の尊厳の基本的根拠があるのです。
「何が原因で、あなたは人間にこれほど大きな尊厳をお与えになったのでしょうか。それは、はかりしれない愛にほかなりません。その愛をもって、あなたはお造りになったものをご自分のうちに眺め、その愛のとりことなられました。実際、あなたが人間を造られたのは愛によってであり、また、人間をあなたの終わりない善を味わいうる存在になさったのも、愛によってです」シエナの聖カタリナ『神の摂理についての対話』 (op. cit., 43)。。
[357]
人間一人ひとりは神にかたどられているので、ペルソナとしての尊厳が備わっており、単なる物ではなく、人格なのです。人間は自分を知り、自分を所有し、自分を自由に与え、他の人々と親しく交わることができます。また、人間は恵みによって創造主と契約を結び、自分に代わってだれも行うことのできない信仰と愛をもって神に応答するように召されています。
[358]
神は万物を人間のために創造なさいました
『現代世界憲章』,第12項,第24項,第39項参照。。そして人間は、神に仕え、神を愛し、被造物のすべてを神にささげるために造られました。
「このような配慮に包まれて存在し始めるものは、一体何者なのでしょうか。人間です。人間は、神の御目には他のすべての被造物にまさって貴重な、偉大で感嘆すべき生きものです。天も地も海も、ありとあらゆる被造物が存在するのは人間のためです。神はこの人間の救いを最重要視されたので、人間のために御ひとり子さえ惜しまなかったほどです。実際、神は人間をご自分のもとに上げ、右の座に着かせようと、いつもあらゆる手段をとられたのです」聖ヨアンネス・クリュソストモス『創世記講話……』 (S. Ioannes Chrysostomus, Sermones in Genesim, 2, 1 : PG 54, 587-588)。。
[359]
「実際、人間の神秘は肉となられたみことばの神秘においてでなければほんとうに明らかにはなりません」
『現代世界憲章』,第22項。。
「聖パウロの教えによれば、人類の起源には二人の人がいます。アダムとキリストです……。聖パウロによれば、最初のアダムはいのちを受けた人間として造られましたが、最後のアダムはいのちを与える霊的存在です。最初のアダムは最後のアダムによって造られ、そのかたから霊魂を受け、それによって生きています……。第二のアダムは第一のアダムを造りながら、ご自分の像を刻みました。ですから、第二のアダムは第一のアダムの役割を担い、その名を受け取りました。それはご自分にかたどってお造りになったものが滅びてしまわないようにするためでした。第一のアダムと第二のアダム、前者には始まりがありますが、後者には終わりがありません。本当は、第二のかたが第一なのです。第二のかたご自身、『わたしは最初の者にして、最後の者である』とおおせになっているとおりです」聖ペトルス・クリソロゴス『説教』 (S. Petrus Chrysologus, Sermones 117, 1-2 : CCL 24A, 709 [PL 52, 520])。。
[360]
起源が共通なので、
人類は一つです。実際、神は「一人の人からすべての民族を造り出されました」(使徒言行録17∙26)
トビト8・6参照。。
「人類は神において起源を一にするとは、何というすばらしい世界観でしょう。……人類の本性は一つです。すなわち、肉体と不滅の霊魂とによって成り立っています。世界における直接の目的と使命は一つです。住まいも一つ、すなわちこの大地です。すべての人間は自然法によって地の実りを利用し、いのちを養い、発達させることができます。超自然の目的も一つ、神ご自身で、人間はすべて神に向かわなければなりません。この目的に達する手段も一つです。……キリストによって行われた贖罪のわざでも一つに結ばれています。」ピウス12世回勅『スムミ・ポンティフィカツス』 (Summi Pontificatus : AAS 31 [1939] 427)。第2バチカン公会議『キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言』,第1項(Nostra aetate)参照。
[361]
「人類の連帯と愛」というこの法則ピウス12世『スムミ・ポンティフィカツス』 (loc. cit., 426)。は、個々人、文化、民族の豊かな多様性を排除することなく、人間は皆、真に兄弟姉妹であることをわたしたちに保証しています。
[362]
神にかたどって造られた人間は、肉体的であると同時に霊的です。聖書の物語はこの事実を象徴的なことばでこういい表しています。「主なる神は土のちりで人を形づくり、その鼻にいのちの息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」(創世記2∙7)。したがって、人間のすべては神の意志のとおりにできたものです。
[363]
聖書がいう魂とは、しばしば人間のいのちマタイ16・25-26、ヨハネ15・13参照。、あるいは人間のペルソナ全体を示します使徒言行録2・41参照。。しかしまた、人間の内部のもっとも奥深いものマタイ26・38、ヨハネ12・27参照。、もっとも大事なものマタイ10・28、2マカバイ6・30参照。、すなわち、人間を特別に神の似姿にするものをも指しています。つまり、「霊魂」は人間の中の霊的原理を意味します。
[364]
人間の
肉体は、「神の似姿」の尊厳にあずかります。それが人間の肉体であるのは、まさに、霊魂によって生かされているからです。人間の全体がキリストのからだに結ばれ、聖霊の神殿となるように召されています
1コリント6・19-20,15・44-45参照。。
「肉体と霊魂が一つになっている人間は、肉体的な状況のもとでは物質界の諸要素を自己の中に集約しています。その結果、物質界は人間を通してその頂点に達し、人間を通して創造主の賛美を自由に歌いあげるのです。したがって肉体の生活を軽蔑することはゆるされません。反対に肉体は神によって造られ、最後の日に復活するものですから、善なるもの、栄誉に値するものとして取り扱わなければなりません」『現代世界憲章』,第14項。。
[365]
霊魂と肉体とは根底から結びついているので、霊魂を肉体の「形相」というべきですウィーン公会議(1312年)憲章『カトリックの信仰』 (Fidei catholicae : DS902)参照。。すなわち、物質から成る肉体は霊魂のおかげで、生きた人間のからだとなっているのです。人間のうちなる精神と物質とは結合した二つの本性ではなく、この結合によってただ一つの本性が形成されています。
[366]
教会の教えによれば、各霊魂は直接神によって創造されたものであってピウス12世『フマーニ・ジェネリス』 (DS3896)、パウルス6世『神の民のクレド』,第8項(loc. cit., 436)参照。、親から「作られた」ものではありません。教会はまた、霊魂は不滅であると教えています第5ラテラノ公会議(1513年)大勅書『アポストリチ・レジミニス』 (Apostolici regiminis : DS1440)参照。。霊魂は死のときに肉体から分離しますが、消滅することなく、最後の復活のときに、再び肉体と結ばれます。
[367]
ときとして、魂は霊と区別されることがあります。たとえば聖パウロは、「主が来られるとき」、わたしたちの「霊も魂もからだも何一つ欠けたところのない」「非のうちどころのないものとして」保たれるようにと祈っています(一テサロニケ5∙23)。教会の教えでは、この区別は霊魂の中に二つのものを認めるということではありません第4コンスタンティノポリス公会議(870年) 「規定」11(DS657)参照。。「霊」は人間が創造のとき以来、超自然的目的に向けられ『デイ・フィリウス』第2章(DS3005)、『現代世界憲章』,第22項参照。、その魂は無償で神との交わりに高められることができることを意味していますピウス12世『フマーニ・ジェネリス』 (DS3891)参照。。
[368]
霊性についての教会の伝統は心を強調しますが、その心とは聖書的な意味での「人間のもっとも深いところ」(エレミヤ31∙33 参照)を意味しており、それによって人は神を受け入れるか拒否するかを決定することになるのです申命記6・5,29・3、イザヤ29・13,エゼキエル36・26、マタイ6・21,ルカ8・15、ローマ5・5参照。。
[369]
男と女は神によって創造されました。すなわち、神は、お望みにより、男と女が、一方では人格として完全に平等であり、他方では男と女という違いを持つものとして造られました。「男であること」「女であること」は神が望まれたよいことです。男にも女にも譲りえない尊厳があり、その尊厳は創造主である神に直接由来します創世記2・7,22参照。。男と女は、同じ尊厳を備えた「神の似姿」です。「男として」、また「女として」、両者とも創造主の英知と善を反映します。
[370]
神を決して男性のイメージで受けとめてはなりません。神は男でも女でもありません。神は純粋な霊で、そのうちに性別はありません。しかし、男と女の「美点」、たとえば、母親イザヤ49・14-15,66・13、詩編131・2-3参照。、父親、夫婦のそれホセア11・1-4、エレミヤ3・4-19参照。は、神の無限の完全さのある側面を反映するものです。
[371]
神は、ともに造られた男と女とが相互のために生きるように望まれました。聖書のさまざまな表現を通して、神のことばがこのことを理解させてくれます。「人がひとりでいるのはよくない。彼に合う助ける者を造ろう」(創世記2∙18)。いかなる動物も、人にとってこのような「相手」になることはできません創世記2・19-20参照。。神が男から抜き取ったあばら骨で女を「造り上げ」、男のところへ連れて来られると、男は感嘆の叫び、愛と共感の叫びをあげました。「これこそ、わたしの骨の骨、わたしの肉の肉」(創世記2∙23)。男は、女が同じ人間であるもう一人の「自分」であることを発見するのです。
[372]
男と女は「相互のために」造られました。しかし神は男と女を「半分半分の人間」、あるいは「不完全な人間」として造られたのではありません。神が男と女を造られたのは相互の交わりのため、お互いが相手の「助け手」となるためです。両者は人間としては平等であり(「わたしの骨の骨……」)、男性、女性としては補い合うものですヨハネ・パウロ2世使徒的書簡『女性の尊厳と使命』7 (Mulieris dignitatem : AAS 80 [1988] 1664-1665)参照。。結婚で神は両者を結び合わせ、両者が「一体となって」(創世記2∙24)、人間のいのちを伝えることができるようになさいます。「産めよ、増えよ、地に満ちよ……」(創世記1∙28)。子孫に人間のいのちを伝えることにより、男と女は、夫婦として、親として、独自に創造主のわざに協力します『現代世界憲章』,第50項参照。。
[373]
神の意図によれば、男と女は、神の「協力者」として地を従わせる使命創世記1・28参照。を持っています。この支配権は、横暴で破壊的なものであってはなりません。「存在するものすべてを愛される」(知恵11∙24)創造主にならって、男と女は、他の被造物に対する摂理に参与するように招かれています。したがって、神が自分たちにおゆだねになった世界に対する責任を負っています。
[374]
最初の人間は、ただよいものとして創造されただけではなく、創造主との親しい交わり、自分自身、また周囲の被造物との調和のうちに置かれていました。これ以上に優れたものは、ただキリストによる新しい創造の栄光だけです。
[375]
教会は、聖書の象徴的なことばを新約聖書と聖伝とに照らし合わせて権威をもって解釈し、人祖アダムとエバは原初の義と聖性トリエント公会議第5総会『原罪についての教令』1(Decretum de peccato originali : DS1511)参照。の状態にあったことを教えています。この原初の聖性の恵みとは、神のいのちへの参与『教会憲章』,第2項参照。でした。
[376]
この優れた恵みのおかげで、人間は生活のあらゆる面で支えられていました。神との親しい交わりにとどまっていさえすれば、人間は死ぬことも創世記2・17,3・19参照。苦しむことも創世記3・16参照。なかったはずです。人間の内的調和、男と女との調和創世記2・25参照。、そして人祖とすべての被造物との間の調和の状態は、「原初の義」と呼ばれています。
[377]
神が当初から人間にお与えになった世界の「支配」は、何よりも先に、ほかならぬ人間自体の中で自己支配の形で実現されていました。人間はその存在の全体にわたって完壁であり、秩序を保っていました。というのも、感覚的快楽、この世の富の所有欲、理性の命令に反する自己主張の三つの欲1ヨハネ2・16参照。に捕らえられていなかったからです。
[378]
神との親密さのしるしは、神が人間を園に置かれたことにあります創世記2・8参照。。そこで人間は「耕し、守る」(創世記2∙15)ために暮らします。この仕事は苦しみではなく創世記3・17-19参照。、男と女が神に協力して見える被造界を完成させるという仕事でした。
[379]
神の計画によって人間のために備えられた原初の義によるこの調和全体が、やがて人祖の罪によって失われることになります。
[380]
神よ、「あなたはご自分にかたどって人を造り、造り主であるあなたに仕え、造られたものをすべて支配するよう、全世界を人の手におゆだねになりました」『ローマ・ミサ典礼書』第4奉献文。。
[381]
人間は、人となられた⸺「見えない神の姿」(コロサイ1∙15)である一神の御子の似姿を写し出すように前もって定められています。それはキリストが多くの兄弟姉妹の長子となるためですエフェソ1・3-6、ローマ8・29参照。。
[382]
人間は「肉体と霊魂から成っている一つの存在者」『現代世界憲章』,第14項。です。信仰の教えによれば、不滅の霊魂は神によって直接に創造されます。
[383]
「神は人間を孤独なものとして造られたのではありません。神は最初から『人間を男と女に造られた』(創世記1∙27)のであり、彼らの共同生活は人格的交わりの最初の形態です」『現代世界憲章』,第12項。。
[384]
啓示はわたしたちに、堕罪以前の男と女の原初の義と聖性の状態とを教えています。楽園での男女の生活の至福は、神との親しい交わりに由来するものでした。