[4]
教会は、人々を弟子とし、人々が信仰によってイエスのみ名によっていのちを得るためにイエスを神の子として信じるように助け、またその生き方を導き、教えて、キリストのからだを築くために力を尽くしています。これらはまとめて、早くから、カテケージスと称されていました2。
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「カテケージス(要理教育)は、一般的にいって、児童、青年、大人の信仰教育で、これは信者をキリスト教的生活に導くために、普通は組織的かつ体系的に行われるキリスト教教理の教授を特徴としています」3。
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カテケージスは、教会の司牧的使命に属する多くの要素を含んでいます。実際、カテケージスはそのような要素と混同されるものではないにしても、それらの要素はカテケージスの準備となったり、結果として生まれてくるものであるという点で、カテケージス的な側面を持っています。それは次のようなものです。すなわち、福音の最初の告知ないし信仰を起こさせるための宣教的説教、信じる理由の探究、キリスト者の生活の経験、秘跡の挙行、キリスト教共同体への完全な参加、使徒的かつ宣教的あかし、などです4。
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「カテケージスは教会の生活全体に固く結ばれています。地理的拡大および数的増加だけでなく、いやそれにもまして、教会の内的成長と神の計画への対応は、主としてカテケージスに依存しています」5。
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教会の刷新の時期はまた、カテケージスの全盛期でもあります。教父時代の盛期には、聖なる司教たちが聖務のかなりの時間をこれに割いているのが見られます。たとえば、エルサレムの聖チリロ、聖ヨハネ・クリゾストモ、聖アンブロジオ、聖アウグスチヌスやその他の多くの教父たちで、これらの人々のカテキズムは依然として模範的なものです。
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カテケージスを通しての奉仕は、つねに諸公会議から新しい力をくみ取りました。中でもトリエント公会議はそのみごとな例を示しています。すなわち、この公会議はその憲章と教令の中で、カテケージスをとくに重要視し、トリエントの名を冠する『ローマ・カテキズム』が編集されるきっかけとなりました。これはキリスト教教理の要約書として第一級の著作です。同公会議はさらに、注目に値するほど、教会内でカテケージスの組織化を引き起こしました。その後、聖ペトロ・カニジオ、聖カロロ・ボロメオ、聖トゥリビオ・ド・モグロベホ、聖ロベルト・ベラルミノなどの聖人司教、神学者のおかげで、数々のカテキズムが次々に刊行されました。
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ですから、教皇パウロ6世によって「近代の一大カテキズム」とみなされた第2バチカン公会議に従って起こった運動の中で、教会のカテケージスが新たに注意を引いたのは驚くにあたりません。このことは 1971 年の『カテケージス一般指針』、福音宣教(1974 年)とカテケージス(1977 年)にささげられたシノドス、これらに対応する使徒的勧告『福音宣教(エヴァンジェリイ・ヌンチアンディ)』(1975 年)、『要理教育に関する使徒的勧告(カテケジ・トラデンデ)」(1979 年)によって裏づけられています。1985 年の臨時シノドスは、「信仰および道徳に関するカトリック教理を網羅するカテケージス、または概説書が作成される」6ことを要望しました。教皇ヨハネ・パウロ2世は、「この要望が普遍教会と部分教会の真の必要にまったくかなっている」7ことを認めて、シノドスへの賛同を表明し、シノドスの教父たちの要望の実現に全力を注いだのです。