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キリスト教の伝承はこの部分に、「新しいアダム」 1コリント15・21-22,45参照。についての告知を見ています。この新しいアダムは「十字架の死に至るまで」(フィリピ2∙8)の従順によって、アダムの不従順を償って余りありましたローマ5・19-20参照。。また、多くの教父と教会博士は、「原福音」の中で告げられた女性は「新しいエバ」としてのキリストの母マリアであると解釈しています。マリアは、罪に対するキリストの勝利の恵みを最初に、比類のないしかたで受けたかたです。マリアは原罪のすべての汚れから守られピウス9世大勅書『インエッファビリス・デウス』 (Ineffabilis Deus : DS2803)参照。、生涯、神の特別な恵みによって、いかなる罪も犯しませんでしたトリエント公会議第6総会『義化についての教令』23(Decretum de iustificatione : DS1573)参照。。
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しかし、神はなぜ、最初の人間が罪を犯すのを妨げなかったのでしょうか。大聖レオは、「キリストのえもいわれぬ恵みは、悪魔が羨望によってわたしたちから奪ったものよりも優れたたまものをわたしたちに与えました」聖レオ1世『説教』 (S. Leo Magnus, Sermo 73, 4: CCL 88A, 453 [PL 54, 151])。と答えています。また聖トマス・アクィナスは次のように答えました。「人間の本性は、罪の後により高い目的に向けられました。これに異議を申し立てるものは何もありません。まったくそのとおりで、神はより大きな善を生じさせるために悪が行われるのを妨げなかったのです。聖パウロはこれを、「罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました亅(ローマ5∙20)といっています。そして、『復活賛歌』は歌います。『かくも偉大なるあがない主をいただくに値した罪は、何と幸いなことか(アダムの罪、キリストの死によってあがなわれた罪、栄光の救い主をもたらしたこの神秘よ)』と」聖トマス・アクイナス『神学大全』 (Summa theologiae, 3, q. 1, a. 3. ad 3: Ed. Leon. 11, 14)。 聖トマスがここで述べる言葉は、「復活賛歌(Exsultet)」の中で歌われる。。