[426]
「要理教育の概念の中には、『父のひとり子……』ナザレのイエス・キリスト自身が含まれていることをまず認めなければなりません。このキリストは、わたしたちのために苦しみ、そして死なれましたが、すでに復活されたので、わたしたちとともにつねに生きておられます。一……要理教育を施すということは、……キリスト自身において実現された神の不変の計画をそのキリストにおいて明らかにすることにほかなりません。それはまた、キリストのわざとことばの意味とキリストが行われたしるしの意味とを理解するよう努めることです」7。カテケジスの目的は「キリストとの交わり……に入るところにあります。……キリストだけがわたしたちを聖霊において父の愛に導き、至聖三位の生活にあずからせることができます」8。
[427]
「要理教育においては、神のみ子、託身のみことばキリストが伝えられ、ほかのものはキリストにかかわりがある限り教えられ、またキリストだけが教え、ほかの人は、キリストの代理者……として、キリストがその人の口で語る限りで教えるものです。……『わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになったかたの教えである』(ヨハネ7∙16)というキリストの不思議なことばはすべての要理教師に当てることができるはずです」9。
[428]
したがって、キリストを伝える使命を受けた者は、まず、「キリストを知ることのすばらしさ」を求めなければなりません。「キリストを得、キリストのうちにいる者」となるため、「すべてをちりあくたとみなし」、「キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達し」(フィリピ3∙8-11)なければなりません。
[429]
キリストへの愛に燃える知識から、キリストを告げ知らせ、「福音を告げ」、他の人々をイエス・キリストへの信仰に導きたいという願望が生じるのです。同時に、この信仰をますますよく知る必要を感じます。これを目指して、信条の順序に従い、まず、イエスのおもな称号(呼び名)である、キリスト、神の子、主、についての説明がなされます(第2項)。次いで信条は、キリストの生涯のおもな神秘である受肉(第3項)、死と復活(第4、5項)、最後に、栄光化(第6、7項)という順序で進められます。