[547]
イエスのことばには数多くの「奇跡と、不思議なわざと、しるし」(使徒言行録2∙22)が伴い、神の国がイエスのうちに到来していることを明らかにします。これらは、イエスが預言されたメシアであることを示します289。
[548]
イエスが行われた奇跡は、イエスが御父から遣わされたことを示し290、イエスを信じるよう促します291。イエスは信仰をもって訴える人々の願いをかなえられます292。そのとき、奇跡は御父のわざを行われるイエスへの信仰を強め、イエスが神の御子であることを明らかにします293。しかし、奇跡はまた、つまずきのもとともなりうるのです294。奇跡は、人々の好奇心や魔力を見たい望みを満たすものではありません。きわめて明白な奇跡を行っているにもかかわらず、イエスはある人たちから排斥され295、これらは悪魔によるものであるととがめられさえします296。
[549]
イエスは、ある人々を飢え297、不正義298、病気、死299など、この世の不幸から解放することによって、メシアとしてのしるしを示されました。しかし、イエスが来られたのはこの世のあらゆる不幸をなくすためではなく300、もっとも重大な隷属、すなわち、罪の奴隷の状態から人々を解放するためでした301。罪は神の子らとしての召命を妨げ、ありとあらゆる人間的束縛の原因となるのです。
[550]
神の国の到来はサタンの支配の破滅を意味します302。「わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ている」(マタイ12∙28)。イエスの悪魔払いは、人々を悪霊の支配から解放します303。これは、「この世の支配者」304に対するイエスの大勝利を先取りするものでした。神の国はキリストの十字架によって決定的に打ち建てられます。「神は木の上から支配されました」305。