[645]
復活したイエスは、触らせたり564、食事をともにしたり565して、弟子たちと直接に交わられました。こうして、ご自分が亡霊ではないことを認めるよう566、またとくに、弟子たちにはからだを見せ、そのからだが苦しみを受け、十字架につけられたからだと同じであることを納得させようとしておられます。受難の傷跡をまだ帯びているからです567。しかし、このからだは、同時に栄光のからだの新しい特性を備えています。もはや時空のうちには置かれず、望む所と時に思いのままに存在することができます568。その人性はもはや地上に引き留めておくことはできない、御父の神的領域に属するものとなっているからです569。したがって、復活したイエスは望みのままに、園丁の姿570や、弟子たちになじみのものとは「別の姿で」(マルコ16∙12)、きわめて自由に出現しておられます571。こうして、まさに弟子たちの信仰を呼び起こしておられたのです。
[646]
キリストの復活は、この世のいのちへの復帰ではありませんでした。ヤイロの娘、ナインの若者、ラザロなど、ご自分の復活以前にキリストによって行われた蘇生の場合とは異なっています。この三人の蘇生は奇跡でした。奇跡的によみがえった彼らは、イエスの力によって通常のこの世の生活に戻っていきました。そして、いつかは再び死んだのです。キリストの復活は、本質的にこれとは異なります。復活したからだをもって、キリストは死の状態から時空を超えた別のいのちに移ります。復活したときのイエスのからだは、聖霊の力に満たされています。栄光の状態で神のいのちにあずかっているのです。ですから、聖パウロはキリストを天に属する人と呼ぶことができました572。