さらに、神の民はキリストの
王としての職務にあずかります。キリストはご自分の死と復活とによって万人をご自分に引き寄せ、その王職を果たされます
218宇宙の王、主であるキリストはすべての人のしもべとなられました。「仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分のいのちをささげるために」(マタイ20∙28)来られたのです。キリスト者にとって、「仕えることは支配することです」
219。とくに教会は、「貧しい人や苦しむ人のうちに貧しく苦しんだその創立者の姿を認め」
220、彼らに仕えるのです。神の民は、キリストとともに仕える召命を生きることにより、その「王的身分」を現します。
「キリストにおいて再生したすべての者は、十字架のしるしによって王とされ、聖霊の塗油によって祭司として聖別されます。それは、霊的な分別のあるすべてのキリスト者が、わたしたちの役務としての祭司職は宕りとして、すべてこの王族の一員であり、祭司職にあずかる者であることを自覚するためです。実際、ある人にとって、肉体を神に従わせて治めること以上に王的なことがあるでしょうか。清らかな良心を主にささげ、自分の心の祭壇で、敬神の汚れないいけにえをささげることほどに祭司的なことがあるでしょうか」221。