キリストと教会とは頭と肢体として一つのものですが、互いに関係している区別された二つのものでもあります。この面は、しばしば夫と妻の関係で表されています。教会の花婿であるキリストという考えは預言者たちによって準備され、洗礼者ヨハネによって宣言されました
242。キリストは、ご自身が「花婿」(マルコ2∙19)であるといわれました
243。使徒パウロは教会とキリストのからだの部分である各信者とを、主とただ一つの霊となるために「婚約した」キリストの花嫁である、と述べています
244。教会は汚れない小羊の汚れない花嫁
245、キリストに愛された花嫁であり、キリストはこの花嫁を「聖なるものと」(エフェソ5∙26)するためにご自分をささげ、永遠の契約によって教会をご自分に結びつけ、ご自身のからだのようにたえず配慮しておられるのです
246。
「これは全キリスト、頭とからだ、多くのものからなるただ一つのものです。……話すのが頭であろうと、肢体であろうと、ほかならぬキリストが話しておられるのです。キリストは時には頭の役を取り、時には、からだの役を取られて話されます。『「二人は一体となる。」この神秘は偉大です。わたしは、キリストと教会について述べているのです』(エフェソ5∙31-32)といわれているではありませんか。また、主ご自身も福音書の中で、『二人はもはや別々ではなく、一体である』といっておられます(マタイ19∙6)。ご存じのように、実際は異なる二人の者がいるわけですが、それでも、二人は夫婦の契りでただ一体となります。……頭としては『夫』といわれ、からだとしては『妻』といわれるのです」247。