[949]
エルサレムの初代教会では、弟子たちは「使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心」(使徒言行録2∙42)でした。
信仰の分かち合い。信者の信仰は使徒たちから受けた教会の信仰です。この信仰は分かち合いながら、充実していくいのちの宝です。
[950]
秘跡の分かち合い。「すべての秘跡の実はすべての信者のものです。事実、すべての秘跡、とくに人々が教会に入る門ともいうべき洗礼は聖なるきずなとなって信者たちを一つにし、イエス・キリストに結びつけます。教父たちは信条の中で、秘跡の分かち合いは聖徒の交わりの観点から理解されるべきだということを示唆しています。……『分かち合い』の語は各秘跡に当てはまります。なぜなら、わたしたちを神に一致させるからです。……しかし、この語は何にもましてエウカリスチア(聖体・感謝の祭儀)に当てはまります。エウカリスチアこそ、この分かち合いを完成させるものだからです」同1, 10,24(op. cit., 119)。。
[951]
カリスマの分かち合い。教会の交わりでは、聖霊は教会を建てるため「あらゆる序列の信者に特別な恩恵をも授けられます」『教会憲章』,第12項。。ところで、「一人ひとりに”霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです」(一コリント12∙7)。
[952]
「信じた人々の群れはすべてを共有して」(使徒言行録4∙32)いました。「真のキリスト者は、自分が所有するものはすべてあらゆる人との共有のものとみなすべきであり、貧しい人や悲惨な状態にある隣人をいつでも急いで助ける心構えを持つ必要があります」『ローマ・カテキズム』1, 10, 27(op. cit.. 121),。キリスト者は主の財産の管理者ですルカ16・1-3参照。。
[953]
愛の分かち合い。聖徒の交わりでは、「だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません」(ローマ14∙7)。「一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。あなたがたはキリストのからだであり、また一人ひとりはその部分です」(一コリント12∙26-27)。愛は「自分の利益を求め〔ません〕」(一コリント13∙5) 1コリント10・24参照。。愛によって行われるわたしたちのどんなささいな行為も、すべての人の益となります。わたしたちは生者と死者を問わず万人との連帯関係にあり、その連帯関係は聖徒の交わりを土台としているのです。すべての罪はこの交わりを損なうものです。